宮城県の南端に位置する丸森町。かつては養蚕が盛んで各農家で蚕を育てていた。寒さから蚕を守るため、養蚕農家の家屋は暖房効率を良くする目的で天井が低い。養蚕が盛んだったころのなごりで、ネズミから蚕を守ってくれる「猫」、「蛇」を猫神、蛇神として今も大切にしている。今回、農業体験を行った大槻裕介さんの自宅も天井が低く、猫を飼っていた。
大槻祐介さん(78)は丸森町で江戸時代から5代続く農家で自宅は建てられてから250年ほどたつという。丸森町の農業も他の地域と同じく高齢化と後継者不足の問題を抱えており、大槻さんも夫人と二人で農業を営んでいる。大槻さんは数年前に大病を患い、一時は農業を辞めようかと考えたが、今は蔵王町の障害者施設「はらから蔵王塾」から田植えと稲刈りの時期に手伝いに来てもらい、先祖代々続いた土地で農業を守っている。
今回、農業体験を受け入れた動機は、参加者に丸森町の特産品である干し柿、タケノコを味わってもらい、丸森に愛着を持ってほしいという思いからだ。一時はたくさんの移住者もいたが、2011年の東日本大震災に伴う原発事故の風評被害もあって、他の地域へ引っ越してしまった人もいる。
脱穀、サトイモ収穫、干し柿作り
2021年10月31日~11月13日の日程で行われた農業体験研修には、20人(男性6人、女性14人)が参加、稲の脱穀作業、サトイモ掘り、干し柿のつくりを行った。当初は3グループに分けて希望の作業を行ってもらう予定だったが、すべての作業を体験したいという参加者からの希望が多かったため、各作業30分での交代制となった。研修カリキュラムは午前中のみが多く、午後から本業のテレワークをする人、個人手配で他の農家へ実習に行く人もあり、コロナ禍での働き方に合わせた農泊研修になった。
宮城の良さを改めて知る体験でした
3人の参加者に今回の研修に参加した経緯や今後の展望などを聞いた。
伊藤千寿さん(宮城県出身)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
日本航空(JAL)に勤務しキャビンアテンダント(CA)として働きながらJALの「ふるさと応援隊」に所属しています。ふるさと応援隊から今回の研修を知り参加しました。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
私は宮城県気仙沼の出身です。宮城県は海側と山側の地域に分かれていますが、気仙沼出身なので海側しか知りませんでした。今回の研修で知らなかった山側の宮城を知ることができました。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
将来、農業をやりたいとも考えていますが、今回は宮城の良さを改めて知ることができました。
保田圭一さん(神奈川県出身)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
自分が住んでいる地域でみかん農家の手伝いをする機会があり、現在の日本の農業に危機感を感じ参加しました。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
農業の後継者不足、第一次産業の労働人口減少をどうしたら食い止めることができるか考える機会になりました。自分一人の力は小さいが、この問題を食い止める仕組み作りを今後考えて行きたいと思います。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
みかんの収穫は12月からなので、地元に戻ってミカン農家の手伝いを始めたいです。
高橋良彰さん(千葉県出身)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
現在、障害者の職業あっせん・就労継続支援の仕事をしており、農福連携事業のヒントになればと思い参加しました。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
過疎化の問題を福祉の力で解決する可能性を感じました。今後、具体的な研修プログラムを検討していきたいと思います。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
丸森町の竹林整備事業が大変参考になりました。竹林整備事業は放置竹林整備に加えタケノコ販売などさまざまな事業の拡張性があり今回の体験生かして生きたいと考えています。
農業を通じて地域の歴史・文化を含めた体験をしてもらいたい
参加者の宿泊を担当した蔵王農泊振興協議会事務局長の宇田川敬之さんに今回の経緯を聞いた。
―農業体験を受け入れた経緯を教えてください。
農泊の運営を行っているJALから声をかけてもらいました。以前から「農業留学」という名称で、農泊と同様のプログラムを実施していました。参加者には農業を通じて地域の歴史・文化を体験してもらいたいと思います。
農泊と家は農家に宿泊し、農業を体験することと思われがちですが、宿泊まで農家が担当すると本業である農業がおそろかになる可能性があります。今後はさまざまな形で農家をサポートし、持続可能な農業を目指したいと考えています。
(了)