《関係創出先進事例集》人がつながればアイデアが生まれる 農山村を再生する株式会社M-easyの活動-愛知県豊田市

M-easyの活動拠点の「つくラッセル」 閉校した旧築羽小学校を再利用している

M-easyの活動拠点の「つくラッセル」 閉校した旧築羽小学校を再利用している

愛知県豊田市旭地区

豊田市は愛知県のほぼ中央に位置し、全国有数の自動車の街として知られているが、市域の7割を森林が占める自然豊かなところでもある。旭地区は市の北東部に位置し、岐阜県との県境にある里山の風景が美しい山村だ。
産業はコメ、自然薯(じねんじょ)の栽培など農業が中心。人口は2289人(2024〈令和3〉年11月)、高齢化率は50%。同地区の築羽小学校は、明治初期に設立された伝統校だったが、児童の減少により12(平成24)年に閉校した。旧校舎は現在、株式会社M-easyが運営する地域活動拠点「つくラッセル」として利用されている。地域再生に奮闘する同社の活動を取材した。

きれいに草刈りされた旭地区の稲田のあぜ道

株式会社の設立

株式会社M-easy

株式会社M-easyは、2003(平成15)年に名古屋大学の牧野篤助教授(当時)が座長を務めた「ひと循環型社会支援機構」の支援で、同大の学生らが「若者による農業をベースにした未来づくりをする」ことを目的に設立されたベンチャー会社である。社名は、“Making the earth alive synergy”の頭文字から取り、「いきいきとした地球、大地、地域をみんなの力で創る」という経営理念を表している。
M-easyの代表取締役の戸田友介氏は、名古屋大学の学生時代に牧野氏の薫陶を受け同社の設立に参加した。09(平成21)年9月から12(同24)年3月まで、豊田市旧旭町で実施された、同社と豊田市、東京大学の産官学連携事業「日本再発進!若者よ田舎をめざそうプロジェクト」を推進し、都市部から募集した若者10人と一緒に農山村の暮らしを実践した。このプロジェクトをきっかけに、11(平成23)年に家族で旭地区に移住した。
戸田氏は、同地区での生活で人生に対する意識が大きく変わっていったという。「本当に安心した生き方というのは、自分事として地域や人に関わりながら生きることなのではないかということに気付いた。いろいろな課題がある地域だが、その中で自分の人生を重ねて生きるということが、本当に心地よいことだと分かってきた」
プロジェクトに参加した若者7人が地区に定住し、戸田氏はプロジェクト終了後も地域住民や移住者と共に新しい事業を模索していった。駆け込み寺のように地元の困り事や相談を受けるうちに100を超える事業が生まれ、雇用や仕事を創出。移住者も増えて18(平成29)年には旭地区内の児童数(7~12歳)が増加に転じている。
旭地区には人口減少や少子高齢化、空き家、耕作放棄地、放置林などの多くの課題がある。M-easyは大学、企業、自治区、行政を巻き込んでコンソーシアムをつくり、数年の構想を経て、18(平成29)年に旧築羽小学校を活用した人材を創造する拠点「つくラッセル」を開設。「いつまでも暮らし続けられる地域を目指し、地域課題に向き合う。地域の遊休資源を再活用し、つながりから価値創造を行っていく」(事業内容より)という活動を通じて地域の課題解決を図っている。

M-easy代表取締役の戸田友介氏 「つくラッセル」の前で

放置林の間伐材を地域通貨に

「木の駅」は、岐阜県から全国に広まったプロジェクトで、規格外や放置された間伐材を山林の所有者が一定の大きさに切り、集荷場に出荷。地域通貨と交換する。森林の保全とともに地域の活性化を図る取り組みだ。
「旭木の駅プロジェクト」は、2011(平成23)年に立ち上がり、プロジェクトの事務局も担っていた戸田友介氏は、有志と共に付加価値創造部門を作るため「あさひ薪づくり研究会」を設立、事務局長として支える。現在は事業として確立、拡大するために同研究会をM-easyの「あさひ薪研部門」として吸収合併し、事業を継続している。
「あさひ薪研部門」は、同プロジェクトから原木や玉切りにした材木を仕入れ、チップ材やDIY材、薪材に加工し、販売している。材木は、それぞれの用途や分量により設定された定価の地域通貨(モリ券)に交換され、旭地区と周辺地域の商店、旅館、居酒屋、理容店、農園、喫茶店などのモリ券加盟商店で地域通貨として活用される。
戸田氏は「旭地区で年間300万円のモリ券が流通するようになり、利益は買い取り価格の引き上げや森林の環境整備に充てている。間伐材はスギやヒノキで、(地域の皆さんが)道の駅の産直野菜のように木材を置いていくようになった。旭地区の人口約2300人の5%が林業に関わっており、高齢者対策にもなっている。たき火や暖房用の薪材の小売りも始め、地区内のコンビニでも販売してくれるようになった」と木の駅プロジェクトが定着し、地域の活性化につながっていることを喜ぶ。

小売り用にまきを一定の長さにそろえ、まとめる作業をする

廃校の再利用

新聞店 テレワーク メンマ作り 訪問看護

「つくラッセル」の休憩室で歓談する戸田氏(右)とテレワークに訪れた利用者


旭地区の築羽小学校は、2012(平成24)年、児童の減少により137年の歴史に幕を下ろした。「地域のよりどころだったので、校舎が荒れないよう活用の方法を模索しました」(戸田氏)。17(平成29)年に総務省の「ふるさとテレワーク推進事業」の補助を受け、テレワーク拠点として「つくラッセル」を整備し、翌年に新しい地域活動拠点としてオープン。名称の「つくラッセル」は、旭地区の方言で“作る”に尊敬の意味を込めた敬語で、M-easyが施設の運営を担当している。
1階は、経理や総務など「つくラッセル」の運営業務を担うオフィスや新聞販売店、休憩室などがあり、取材当日も愛知県内の会社に勤務する女性がテレワークに来訪し、戸田氏と歓談しながら昼食を取っていた。また、23(令和5)年8月から、豊田市が設置する都市と田舎をつなぐ中間支援組織「おいでん・さんそんセンター」の事務所も開設した。2階には、WiFiや複合機などを完備したコワーキングスペースやオープン会議室があり、名古屋市の会社に勤務するビジネスマンや大学生もテレワークの場として活用している。3階には、22年(令和4)1月に開業した高齢者の自宅看護を支援する「訪問看護ステーションかえるの家」があり、ともに看護師の夫婦が運営している。また、里山資源や各地のこだわり素材を生かしたアイス工房「コレカラフーズ」も、理科室を改装してアイスの製造をしている。
運動場は、「小学校が廃校になって誰も来られないような場所にしてはいけない」(戸田氏)との思いから、「つくラッセル」ができる5年前にマレットゴルフ場が作られた。現在はマレットゴルフ愛好会が定期的に大会を開催している。その他、調理室では里山の資源活用を目的に設立された会社が国産のメンマ作りに取り組むなど、「つくラッセル」は新しい地域のよりどころとなるだけでなく、関係人口や雇用の創出、収入、住民サービスなど、さまざまな形で地域に大きく貢献。18(平成30)年度の来訪者数は、6375人だった(豊田市資料より)。

旧築羽小学校の看板も再利用

新聞販売店 牛乳販売店 デイサービスを運営

高齢化で運営できなくなった地元新聞販売店から、2018(平成30)年に事業を引き継いだ。オフィスは「つくラッセル」内にあり、旭地区と小原地区の中山間地域の1200を超える読者に複数の新聞を配達している。配達やチラシの折り込み作業などに数十人のスタッフがシフトを組んで担当しており、移住者の仕事にもなっている。「この新聞店の事業を受け継いだのは大きかった。一番大きい収入と雇用を生んでくれている」(戸田氏)。SNSのフェイスブックも開設し、折り込みチラシのキャンペーンなどPRも積極的に行っている。また、地元牛乳販売店が廃業するとの相談があり、24(令和6)年4月から事業継承することになった。地域住民の健康と情報を届ける存在として、配達網の維持に努めている。

「つくラッセル」の1階にある戸田新聞店のオフィス

地域密着型デイサービスの「あんじゃない」は、戸田氏の「地域で暮らし続けていくためにどう老いと死に向き合うかに取り組んでいきたかった」という思いから、19(令和元)年に開設された。施設スタッフは、戸田氏がこども園に地域の子どもを送迎している際に母親たちに声を掛け、集まったという。
“あんじゃない”は、「大丈夫だよ」「心配ないよ」という旭地区の方言。利用定員は10人で、営業時間は、平日の9時半から14時半まで。施設は、古民家の空き家を「四季のうつりかわりと木のぬくもりを感じられるようにリフォーム」(施設パンフレットより)した。近くを国道153号が走り、車での移動も便利。周辺はのどかな里山でほっとする風景が続く。

県道366号から見た地域密着型デイサービス「あんじゃない」

移住者に聞く

「自分に合う仕事をくれる」

地元から相談を受けるうちに多数の仕事が生まれ、移住者の仕事の受け皿になっている。2人の移住者にこの地域に決めた経緯や感想を聞いた。
愛知県の都市部から約3年前に移住してきた稲垣遥さんは、「コロナ禍で夫の会社がリモート勤務になって都市部に住む必要がなくなりました。田舎の暮らしをしたかったので移住を決めました。希望した空き家は、隣に畑があり、湧き水があり、庭が山の裾野とつながっていて私が欲しいものがすべてそろっていました。この空き家に住めてとてもラッキーです」とうれしそうに話した。「つくラッセル」を訪問したばかりの頃は、販売用のまきを一束ごとにまとめる仕事を担当していたが、現在は、まき割り、配達、大工仕事の補助など、さまざまな仕事を担っている。
大山侑希さんは、前職で農業に触れて山間部で農業をしたいと移住してきた。「知多半島で竹林整備の仕事をしていました。もっと山間で農業をしたいと思い4年前に移住してきました。ここには家と仕事の両方があり、ありがたく思っています。竹の縁でこちらでは国産のメンマ作りをしています。自分に合った仕事ができてうれしいです。私のような外から来た人にも旭町の人は優しくしてくれます。人が重要ですね」と感謝の気持ちを語った。大山さんは、「つくラッセル」のオフィスでも勤務している。

稲垣遥さん(左)と大山侑希さん

「誰もが排除されない場にしたい」
戸田友介代表取締役

プロジェクトをきっかけに旭地区に移住して15年が経過。今やリーダーの一人として地域のさまざまな課題に取り組み、多彩な事業を推進する戸田友介氏にこれまでの活動の中で感じたことや今の思いを聞いた。

今の社会の効率優先、合理化などの流れとは逆になりますが、人が集まるところにはアイデアが生まれます。困り事は事業の種。地域になくてはならない存在になったときに稼ぎがついてくる。みんなで生き残っていくためには、仕事に人を合わせるのではなく、人に仕事を合わせていくことが大事だと思います。旭地区の人たちは、「あんたらがいてくれるだけでうれしい」と外から来た私たちを温かく迎え入れ見守ってくれた。この優しさが大きな支えとなりました。
ここで生きていく、ここで死ぬという覚悟ができて、ここでの生活が大きく変わり、地域と主体的に関わらなければいけないという強い思いを持ちました。暮らしが続いていること、おじちゃんおばちゃんと時間を共有することが大事。また、課題を乗り越えるには時間と仲間も必要です。 
大切にしたいことは、誰もが排除されない大丈夫(あんじゃない)という場になること、駆け込み寺を楽しめる場になることです。(「つくラッセル」が)いつでも学び合えて学び続けられる場でありたいと思います。

戸田友介氏 「つくラッセル」にて