奈良県の中央部に位置する吉野町は桜の名所で知られ、平安時代から植樹されてきた。町内の吉野山で3万本の桜が咲き誇る時期には、30万人以上の花見客が訪れ、かつて豊臣秀吉も5千人の侍を連れ盛大な花見の宴を催した。
大海人皇子や源義経、後醍醐天皇も吉野山に滞在し、当地は日本の歴史の節目に数多く登場する。修験道の聖地でもあり、数多くの文化遺産が守られてきた。2004(平成16)年には、吉野山と高野山、熊野にかけての霊場と参詣道がユネスコの世界文化遺産に登録されている。
産業は林業と観光が中心。年輪幅が小さく色目が美しい吉野杉は日本屈指のブランドで、吉野檜も香りがよく評価が高い。大阪城など木造建築の需要に応じて造林も行い、当地は日本林業の発祥の地とも言われている。
吉野山観光協会の東利明会長は、「先人から受け継がれてきた吉野山の桜や吉野杉などをどう次の世代に送っていくかが最大のテーマです。観光資源に恵まれた吉野山もコロナ禍の影響で苦しい時期が続いていますが、桜や紅葉の時期だけでなく通年型の観光を目指します」と語った。
吉野町で、吉野産のスギとヒノキを使った割り箸作りや木材需要の振興など地域の課題解決を図る現地研修を取材した。研修は、2月21日から23日までの3日間で、参加者(男性7人、女性6人)は、割り箸の製造工程の見学や作り方の研修、吉野杉の製品開発のプレゼンテーションなどを通じて地域課題の解決を目指した。
吉野割り箸の歴史と作業工程を学ぶ
最初の研修では、吉野製箸工業協同組合の会議室で同組合の内仲誠常務理事と事務局の奥谷純子さんから吉野杉の割り箸作りの歴史と現状を聞いた。
吉野割り箸は、明治時代初期に吉野杉で作られる酒樽(さかだる)の端材が捨てられるのが惜しいと考案されたのが始まり。現在は建築に使用され残った端材(背板という)を材料に割り箸を作っている。同組合は1970(昭和45)年に設立され、平成元年には130社の加盟があったが、現在は27社まで減っている。組合に入っていない事業者を含めても吉野で割り箸を製造している事業者は40数社という状況となっている。
奥谷さんは「最初はスギの箸だけでしたが、ヒノキも戦後から使うようになりました。吉野杉は密植するので間伐材が出ます。それを使って箸を作ります。間伐は森に太陽の光を届ける大切な作業で、森林の健全な成長に欠かせません。現在、間伐材利用の重要性をPRする間伐材マークを使っています」と吉野割り箸の社会的意義を語った。
内仲常務は「スギやヒノキは同じ木でも場所が違うと性質が変わるので、一生上手にならないと言われました。組合員の年齢は現在平均70歳ぐらいで高齢化しています。この道65年の人もいますが、後継者がいない。平成に入って外国からの木材の輸入で価格が下落し、割り箸の生産量も減りました。製材業者も減り、原材料も不足しています。このままでは吉野の割り箸は絶滅してしまいます。コロナ禍が落ち着き、注文が増えてきましたが、箸作りをやめた人もいるので生産数が足らない」と危機的状況を訴えた。
研修生からは、「生産が追い付かないと値段が上がるのでは」「これだけのクオリティーの箸を作れるのは日本しかない。海外の和食店にいい箸がないのはチャンスでは」などの質問があった。これに対し、内仲常務からは「箸は消耗品なので値段が上がらない」「和食が世界文化遺産になって需要は拡大している。国産材の箸が見直され、問い合わせは増えている」との回答があった。
続いての研修は組合から場所を移し、割り箸の製造工程を見学。スギとヒノキは性質が違う(含有している水分がスギは多いため柔らかいが、ヒノキは水分がスギより少なく硬い)ため、工程が異なる。研修生は2班に分かれてそれぞれの割り箸工場に移動し、交代で見学した。
スギの箸を専門にしている竹内善博さんの工場では、乾燥させたスギの木材を割り箸の長さの板に切り分けるといった各工程の作業の説明を受けた。1日に1万5千膳作るという。
竹内さんは、「各工程の機械はもう製造されておらず、自分で調整しながら使っています。通常の割り箸だけでなく、吉野高校とコラボし、レーザー加工で桜など吉野らしい文様を入れたものも作っています。結構人気があります」と話した。
内仲さんはヒノキ専門。ヒノキは水分の含有量が少ないのでスギのように乾燥させず、そのまま作業に入り、最後にオキシドールで消毒する。月に40万膳作る。
「箸は人によって作り方が違い、長さや形が微妙に異なります。箸を見たらどの人が作ったかが分かります。木材は場所によっても性質が違うし冬は水分が多いので、削る機械の刃を調整しないといけません」。内仲さんはそう説明した。
吉野林業の現状を聞き、割り箸を自分で作る
2日目の研修は、まず内仲さん所有の木材置き場でヒノキの背板に触れながら吉野の製材の現状について聞いた。
「日本の林業が盛んな頃は、樹齢250年の建築用の吉野杉などは大変な価値があり、割り箸に使う端材は製材所にとって小遣い程度の収入でした。吉野はほとんど民有林なので公的な林道が無く、山から木を出すときはヘリコプターを使っていましたが、今は価格も高くなって使うこともほとんどなくなった。今は割り箸用の背板が一番の売れ筋。山の仕事は危険なことも多く、製材に携わる人が減っていますが、技術を残さないと吉野林業の伝統が消えてしまいます」。内仲さんの訴えに力がこもった。
次は組合の会議室に移動し、手作業による割り箸作りを学んだ。竹内さん所有の手動の機械を使って割り箸を作るグループと完成した製品を紙やすりで磨くグループに分かれ、それぞれ交代で作業した。
「この作業は機械が自動化される前のまだ家族で割り箸作りをしていた頃のものです。一本の箸を作るのに昔はこれだけ時間がかかっていました」と竹内さん。
研修生たちは、竹内さん考案の手動のかんな器で箸の上の部分(天)や先の部分(先付け)を削る作業を行い、紙やすりで出来上がった箸を黙々と磨いた。
吉野へ移住し、割り箸作りで起業
割り箸作りの研修の後は、吉野町へ移住した徳永拓さんに経緯や思いを聞いた。徳永さんは大阪出身。営業関係の仕事などを経て地域おこし協力隊に応募し、吉野町役場での任務を終えた後も引き続き役場で勤務していたが、割り箸作りで起業した。
「今年の6月には作って売れる段階まで行きたい。準備も順調で売り先も決まっていてありがたいです。いい職場にいましたが、世の中はどうなるか分からないので手にスキルを持っておきたかった。妻の理解を得ることは重要です。割り箸作りはいい仕事で夢のある業界だと思います。ヒノキの元禄箸(断面が小判型で最も流通している箸)を作りたい」
徳永さんの話に研修生からは、「どの辺に夢がありますか」「長く続けられるためにはどうしたらいいですか。やりたい人にどう伝えますか」などの質問があった。徳永さんは、「箸の良さを知りました。難しい時代だからこそいい箸にこだわりたい」「一攫千金を狙う人には向いていない。集中力を継続しないといけない仕事です」と答えていた。
吉野木材協同組合連合会でプレゼンテーション
この日最後の研修は、吉野木材協同組合連合会の会議室に場所を移し、研修生がそれぞれ吉野木材の振興策を提案した。同連合会は、吉野杉と吉野檜を中心に原木を取り扱う原木市場。プレゼンテーションの前に吉野製材工業協同組合の樫本昌幸室長から、「吉野林業の今後の500年をどうするか。十分な植林はした。切り出しコストが高い、注文住宅が減っているなどの状況を打開するには、建築の店舗設計で内装材に吉野杉を使ってもらうなどの対策が必要。研修生の皆さんのアイデアに期待しています」とのあいさつがあった。
研修生からは、①吉野杉を使ったバッグを作る ②SⅮGsの観点でごみ箱を吉野材で作る③食べ物を包む経木(きょうぎ=スギやヒノキの薄い板)に吉野杉を使う ⑤ジュースの自動販売機のカバーに吉野材を使う―などの提案があった。
移住者の体験談を聞く
研修最終日は、吉野町に隣接する東吉野村に移住した渡邊祐示・麻里子夫妻から移住の体験談を聞き、質疑応答を行った。
渡邊さんは広島県出身。趣味の登山で2年前に屋久島へ行った際に屋久杉の大きさと寿命の長さに驚き、屋久杉を伐採・利用している林業に興味を持つ。その後、吉野林業の体験研修をSNSで知り、参加。そのときの体験から吉野への移住を決意し、東京での映像関係の仕事を辞め、奈良県が運営する林業大学校「奈良県フォレスターアカデミー」への入学を機に東吉野村に夫婦で移住した。
「移住してまず感じたことは、山に囲まれているので日当たりが大事ということ。他にも移住者がいて、仲間が多いです。予想以上に寒く、6月にストーブを使ったことがあります。思った以上に三重、和歌山に近く、奈良は海がないのでよく行きます。食べ物がおいしい。学校が休みのときはよく手伝いを頼まれて収入になっています。卒業後は、個人事業主として林業もやってみたいです」と渡邊さん。
研修生から渡邊さん夫婦へ多くの質問があった。以下は主な質疑応答。
私は2年間の課程を選び(1年間の課程もある)、1年目は重機など15の資格を取得しました。2年目は事業計画を学びます。あと1カ月で卒業です。
林業の仕事をしたいです。山歩きが好きなのでガイドもしてみたいです。
そもそも移住を考えていなかったので、それはなかったですね。ただ、冬は寒いです。これには驚きました。暖房代がかかります。マイナス5度のときもあります。
人手が足りないのでいろいろな依頼があります。林業の手伝い以外にも大根抜きやシイタケもぎなど。
家族で移住してきていて子育て世代が多いですね。東吉野村は人口1500人ですが、私たちが来たときは村から「渡邊さんでちょうど100人目です」と言われました。
吉野町産業観光課長 吉野町の認知度を高め魅力の発信を
渡邊さん夫妻の移住体験の話の後は、吉野町役場の中尾勇産業観光課長から町の現状と今後の振興についてレクチャーがあった。
「吉野町の人口は平成の初めの頃は約1万4千人でしたが、現在は6232人と半分以上減少しています。約500年前から受け継がれるスギやヒノキの植林や造林の技術、製造加工技術、吉野材のブランドなどを守り、次世代に引き継ぐにはどうすればよいか。まず、吉野材の魅力の認知拡大を図り、触れ合う機会を創出する。次に吉野材を生活に取り入れたいという期待に応え、山や森林保全、木に携わる人を増やす。そして若い世代の人たちに木の魅力を伝えることなどを念頭に、課題解決に向けて取り組んでいきたい」。中尾課長は、今後の方向性をそのように語った。
研修を終えて 吉野杉を高級材のブランドに
今回の研修の総括として、前東京農業大学教授で農業経済学博士の黒瀧秀久さんが吉野林業が今後どうあるべきかについての方向性を語った。
「木は他の地域のものを使うのではなく、その土地の木(地域材)を使うべきだ。その土地の木はその土地の空気や水で育っているので、ゆがまないし狂わない」
「木は二酸化炭素を保存しており、人間に優しい。コンクリートの学校が増え、学校が荒れるようになった。これは統計でも証明されている。木と人間が共生する時期が再度来た。しかし、社会の変化が激しく、使用価値の転換で吉野杉の需要が減って使われることが少なくなった。危機を迎えており、どうすればよいか」
「地域活性化には、①地域資源 ②生物資源 ③自然資源 ④歴史・文化遺産 ⑤人的資源 ⑥経営資源―が必要。これらには他者の気付きが必要です。吉野杉の付加価値を上げるのは単体では難しく、ブランディングが有効だと思います。他の地域の並材と違って吉野杉は、木目の美しさや節目が無いことなどを生かした高級材として展開すべきでしょう。一つの方策として、吉野材の認証機構を作ることを提案したい」。黒瀧さんは熱っぽく語った。
研修生に聞く 吉野材で建築したい
4人の参加者に今回の研修に参加した経緯や今後の展望などを聞いた。
石川大輔さん(東京都在住)
―プログラム参加のきっかけを教えてください。
使用済みとなった屋外広告を再利用したバッグやポーチ、ピクニックシートなどのプロダクトの企画・製作・販売を事業として行っています。顧問として関わっている企業の茨城県産の木材を使用した新規事業と商品開発に携わっており、木材のことを詳しく知りたいと思い今回の研修に参加しました。
―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?
研修で実際に山に入ってみると、見える景色や解像度が変わりました。自分のプロジェクトにフィードバックして新しいことへチャレンジしたいです。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
自分の事業として木材をテーマにしてみたい。吉野杉を活用するチームを編成できないか考えています。
朱牟田育実さん(神奈川県在住)
―プログラム参加のきっかけを教えてください。
建築士をしていて木材に着目しています。個人的な旅行で吉野町に来て吉野杉を使った宿泊施設を見た際の地元製材会社と役所の方との出会い、インスタグラムで募集していた今回の研修プログラムを見たことなどが契機となって参加しました。木造の建築物を建てることに関心があります。
―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?
製品としての木材しか見る機会がなかったので、実際に山で木を見たときは木が育まれる環境の尊さを感じました。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
建築の仕事に吉野の杉を使っていきたい。自宅を建てる際にも試してみたいです。
三上晶生さん(千葉県在住)
―プログラム参加のきっかけを教えてください。
個人事業主としていくつかの事業をやっています。ドローンを使った林業での物流を考えていたところ、SNSで林業の研修を知り、参加しました。
―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?
ビジネスをする上での課題が明瞭になりました。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
木材をドローンで運べないか研究しており、林業関係者から問い合わせも来ています。技術面や法律面での課題(現在使用している物流機体は55キロまでしか運べない、総重量が150キロを超す機体は機体製造手続きが厳格になるなど)をどう克服するか考えています。
岩城遥子さん(東京都在住)
―プログラム参加のきっかけを教えてください。
木材会社を経営していた親戚から林業にとって吉野は特別な場所だと聞かされていました。個人的な旅行で吉野に来ることも多く、今回林業の研修があることを知り応募しました。
―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?
充実した研修でした。吉野の人たちの木に対する気持ちや崇高さが分かりました。体験しないと分かりませんね。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
林業に直接携わることはないと思いますが、林業や木のことを知らない方たちに素晴らしさを伝えていきたいと思います。