福島県の浜通り地方に位置する南相馬市の農業は水稲を中心に、キュウリやネギ、トマト、ブロッコリーなどの栽培に力を入れている。同市の農家民宿「いちばん星」を訪れた。経営者の星巖(ほし・いわお)さんは、東日本大震災時に同市役所の職員として避難所で奮闘。その後、市役所を辞めて農家民宿を開業した。農作業などの実地体験や農家訪問を通して、復興に向けて頑張る地域の農業の魅力を知ってもらいたいと努力する星さんの人柄に引かれ、この民宿のリピーターは多い。
2021年11月末に宿泊していたのは、大阪府豊中市からやって来た原田幸一郎(はらだ・こういちろう)さんと、東京に暮らす磯村栞(いそむら・しおり)さんだ。
知的財産管理の仕事をしている原田さんには、大学院と大学在籍中の長女と長男、高校生の次男がいる。原田さんは「子育てのめどが見えたので、キャリアシフト(転職)を考えるようになりました。選択肢の一つが農業です。いろいろ勉強しているところです」と話す。
磯村さんは建築を学ぶ大学3年生。「就職活動で忙しくなる前に、興味があった農業のことを知りたかったのです」と、農伯での「研修」に参加した理由を話してくれた。農業関連のビジネスにも興味を示す。もう一つの理由は「大震災を体験した人たちから話を聞きたかったからです」と言う。
星さんは「半年なり、1年なり、ここに住み、地域の事情やJA農協との関わり方を知る。少しずつ手順を踏んで学んでいくのが良いですね」と、大規模な農家で研修を積んでから独立し、ブロッコリー栽培をしている農家の例などを紹介した。
農家で馬を見学
南相馬市で有名なのは、伝統行事である「相馬野馬追(のまおい)」だ。甲冑(かっちゅう)に身を固めた騎馬武者が疾走し、勇壮な一大時代絵巻を展開する。参加する馬は500頭余り。3日間に及ぶこの行事のために、農家は馬を飼育している。トラクターやコンバインなどの農業機械が普及する以前は、農耕に使われる馬が活躍したという。
「実際に馬を飼っている農家を見に行きましょう」と、星さんは2人を車に乗せた。星さんの顔見知りの農家では、男性が馬の脚に湯をかけ、ブラシで洗っていた。原田さんと磯村さんが尋ねると、「こうしないと、馬の体を清潔に保つことができないのです」と話してくれた。磯村さんは別の馬のところへ行き、少し怖そうにしながら顔をなでてみた。
干し柿作りに挑戦
農業法人「ごろくファーム」は、コメをはじめタマネギやキュウリ、トマトなどを生産している。大規模な耕地と九つの栽培ハウスを経営し、コメではJAの最優秀賞を獲得した実績がある。夫とその後を継ぐ長男と共に仕事を支える荒淳子(あら・じゅんこ)さんが、同ファームが販売する切り餅の作り方を原田さんと礒村さんに教えてくれた。荒さんのコーチぶりは、自分の子どもや孫に教えるようにとても丁寧だった。
柿餅は干し柿を練り込んだ餅だ。原田さんと磯村さんは、その干し柿作りに挑戦。「まず、へたを取ります。それから、皮を削り落とします」。最初は手間取っていた二人だが、どんどん皮をむくペースが上がる。「とても良い感じですよ」と荒さん。その後で、柿にひもを通して外気に1カ月ほどさらす。
65歳を過ぎた記者の私も、勧められて作業をやってみたが、恥をかいただけだった。
藍染めを初体験
体験工房「赤い屋根」では、藍染めを体験した。タデ科の植物であるアイの種をまき、育ったアイの葉を採り、手間暇かけて染色液を作る。二人は、藍染めに詳しい女性の指導で染色液に蛇腹に折った布を漬けた。3分間漬けた後で5分間空気に触れさせるという作業を繰り返す。初めてでも、自分の好きな模様ができるのが魅力だ。
工房に隣接する民家で月に1回、近所の女性たちが集まり、芋煮会などのイベントを開いている。藍染めの後にコーヒーを振る舞ってくれた。原田さんが「農業をやってみたいんですよ」と話すと、農家民宿の女性の会会長が「農作業は夏は暑いし、冬は寒い。でも楽しいですよ」と就農を進めた。
アルパカの世話をする
星さんは宿を訪れる「研修生」に真摯(しんし)に向き合う。初心者にとってはきついブロッコリーの収穫作業の実体験から始めることもあり、順番を変えることもある。原田さんと礒村さんは再度ここに農泊し、収穫作業を体験する予定だ。
残念ながら、私はその場面を取材できなかった。星さんは「あなたも、ブロッコリー収穫の作業を経験した方がよいよね」と笑った。
いちばん星ではアルパカを飼っており、この民宿を象徴するような存在になっている。このアルパカは、04年に発生した新潟県中越地震で被害を受けた山古志村からやって来た。「毎日、世話をする必要があるので、飼うことに苦労もある。でも、子どもたちがアルパカを見て喜んでくれるんだ」と星さん。二人は星さんの指導の下でアルパカの世話も体験した。
牛への愛情
星さんは精力的に、宿泊した人たちを東日本大震災に関係する場所へと案内する。同市小高地区と浪江町との境あたりにある「希望の牧場」もその一つだ。東京電力福島第1原発事故の放射線被害によって牛は売ることはできない。しかし、殺処分にするには忍びないからと、今も飼い続けているという。牧畜を営む人の牛への愛情なのだろう。原田さんと礒村さんは、近づいて来る数頭の牛にじっと見入っていた。
(了)