岩手県北西部の八幡平市は、北東北(青森、岩手、秋田)の中心に位置し、ともに日本百名山に数えられる岩手県最高峰(標高2,038メートル)の岩手山と八幡平(標高1,614メートル)の雄大な自然に囲まれたまちだ。豊富な温泉をはじめ、トレッキング、キャンプ、登山、高山植物鑑賞、スキーなど四季折々のレジャーが楽しめる日本有数の観光地であり、冬季のパウダースノーは海外のスキーヤーからの評価も高い。スキージャンプで日本人男子初のワールドカップ総合優勝者である小林陵侑(こばやし・りょうゆう)選手ほか、当地からは数多くのスキージャンプ選手が輩出されている。また、市内の松川温泉には1966年に運転を開始した日本初の地熱発電所の松川地熱発電所があり、同発電所の温排水は、農業用に市内のハウスへも提供されている。
同市の農業は、米、ホウレンソウ、リンドウ、畜産物が大きな柱だ。岩手県のリンドウの出荷量は全国1位だが、特に市内の安代(あしろ)地区では30以上のオリジナルの品種が開発された。これら「安代(あしろ)リンドウ」は今や全国ブランドとして流通し、海外にも輸出されている(岩手県HPより)。
八幡平市で、1次産業を学ぶ現地研修を取材した。研修は2022年1月16日から29日までのおよそ二週間で、参加者(男性4人、女性9人)は、スマートファームの運営やバジルやトマトの収穫、マッシュルームの栽培施設のメンテナンスなど農業の実務を体験した。
スマートファームの運営とバジル、マッシュルーム、トマトの栽培を学ぶ
農業の実務体験では、参加者は4グループに分かれ、それぞれの研修先でIoTを活用したスマートファームでのバジル栽培、馬糞たい肥を菌床にしたマッシュルーム栽培、トマト畑のメンテナンスなどを学んだ。
株式会社八幡平スマートファームは、IoTと地熱を活用した熱水ハウスでバジルの水耕栽培を行っている。研修生は、同社が管理する市内松尾地区のハウス内で、バジルの養液の補給や温泉の循環による温度管理の機械化、リモートでの監視など、IoTと地熱を活用したスマートファームの運営と管理について同社スタッフから説明を受けた。レクチャーのあとは、バジルの収穫を体験。研修生は、同社スタッフの指導のもと、それぞれハサミでバジルの1つの茎から生えている最も大きい葉のある枝をつまんで収穫した。参加者から、「農薬はまきますか?(回答:防虫対策で農薬は散布します)」「養液は化学肥料ですか?(回答:そうです)」などの質問が上がった。
同社スタッフの田畑麗(たばた・うらら)さんは、「バジルの収穫は人の手で行いますが、養液の補充や温度管理は自動化されており、リモートで生育とシステムの稼働状況を監視しています。沖縄原産のバジルなので冬は日照不足で生育に影響が出ないように注意しています。バジルは定植して2週間で生育し、1年を通して出荷できます。バジルが順調に生育してお客さんに無事届くことが一番うれしいですね。東京の岩手県のアンテナショップでも販売されていて肉厚でおいしいと好評です」と語った。
農業生産法人のジオファーム八幡平は、引退した競走馬の次の進路を模索しながら、馬糞たい肥を菌床としたマッシュルームの栽培に取り組んでいる。馬糞たい肥の発酵には温泉の地熱を利用。研修生たちは同法人の農場で、船橋慶延(ふなはし・よしのぶ)代表の指導を受けながら、マッシュルームを栽培する市内松尾地区の施設内の清掃を行った。現在は収穫が終わって次の菌床作りの準備を始める時期で、参加者たちは、施設の床や菌床の棚をモップやほうきなどで丹念に清掃した。
船橋代表は、「馬糞たい肥は、マッシュルームの菌床に最適です。マッシュルームの栽培地は全国でも少なく北東北でもこの農場しかないので、栽培を始めた頃は生産資材や栽培のノウハウがなく苦労しました。今は取引先が増え、生産が追いつかない状況です。新鮮なマッシュルームをお客さんに届けることが一番うれしいです。サラダやカルパッチョがお薦めです。八幡平の地酒にもよく合いますよ」と栽培の苦労や喜びを語ってくれた。
市内平笠地区の株式会社サラダファームのハウスでは、研修生はトマト栽培のメンテナンスを行った。同社は、花きや野菜の生産、八幡平の地産の食材を活用したレストランや販売店舗などを展開している。研修生は、同社スタッフから指導を受けながら、ハウス内に植えられたトマトの茎と枝の間に生える脇芽(わきめ)をつむ作業を行った。脇芽は枝になる前の小さい芽で、この芽をつむことで同じ茎に生える他の枝のトマトの実に栄養が十分に届くようになる。
「トマト5棟、イチゴ6棟、花き3棟のハウスを運営しています。このハウスでのトマトの収穫は10月から3月にかけてで、寒さに強い品種を栽培しています。水分供給を少なくして糖度を上げるようにしています。ハウスが大きいので温度やCO2の調整など管理は大変ですが、ここで収穫されるトマトは糖度が25度あり味も濃いので、お客さんから、皮が柔らかくフルーティで美味しい、トマトは苦手だがここのトマトは甘くて食べられると言っていただくのが嬉しいです」(同社スタッフの杉澤圭太さん)。
食泊分離で農泊の新しい展開を
今回の研修の拠点となった「ノーザングランデ八幡平」は、2021年秋に八幡平温泉郷にオープンした複合観光施設で、レストラン、カフェ、観光案内所などがある。地元食材を使用した食事の提供や観光情報の発信を専門とし、宿泊は周辺のペンションや温泉宿などと連携する「食泊分離」で地域のにぎわいの創出を図っている。研修生は同施設で、食事や喫茶、自由時間のリモートワーク、ミーティングなどを行う。同施設とそれぞれの宿泊先との移動は、同施設のオープンと同時に運営が開始された八幡平温泉郷を巡回する無料のシャトルバスが担っている。
今回の研修のコーディネーターであり、同施設に構想段階から関わってきた株式会社八幡平DMOの畑めい子代表取締役は、「八幡平は、パウダースノーの日本有数の雪質の良さや暖冬でもスキーができる十分な積雪量など自然のポテンシャルに恵まれていますが、スキー客の減少やコロナ禍などで苦しい状況が続いていました。宿泊の多様化に対応しようと多くの地元の関係者にヒアリングし、同施設では食泊分離を基本コンセプトに長期滞在型に対応できる“キッチンスタジオ”や地元食材の活用、観光情報の発信などを進めています。これからの課題は、高齢化対策と新しい軸となる持続可能な観光、環境への取り組みなどです。国際的なマウンテンリゾートを目指します」と八幡平温泉郷の今後の展開について語った。
八幡平への移住を考えたい
2人の参加者に今回の研修に参加した経緯や今後の展望などを聞いた。
関根大河さん(東京都出身、23歳)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
大学生で就活していてIoTやエネルギー関係を模索していますが、自分の幅を広げるために農業も検討していました。その中でJALの農業留学を知り、応募しました。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
ハウス内での作業など農業のモニタリングの体験もあり、充実しています。今日は地熱とIoTとの融合という今まで知らなかった世界でした。バジルも触っていい香りがしました。八幡平の寒さも新鮮な体験です。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
今回の研修の1日1日の出来事を日記に記録し、SNSで情報発信したいです。将来的には八幡平への移住も考えています。まだ研修も約2週間あります。忘れられない体験になると思います。
山下美帆さん(東京都出身、28歳)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
自然に囲まれた生活がしたいと思っていました。今回の研修はJALのサイトで知り、 応募しました。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
岩手の魅力を感じています。今回の研修でマッシュルームの栽培方法やトマトが収穫までどれくらいの手入れが必要かを初めて知りました。(トマトは)スーパーで売られているものと全然味が違いますね。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
今はIT関係の仕事をしていますが、いずれは地方で、登山や家庭菜園、地元との交流をしながら、東京との2拠点で生活できたらと思っています。
(了)