世界自然遺産の白神山地の南側の麓に位置する藤里町は、森や川、田畑が美しい里山の町。農家民宿に滞在しながら、白神山地の豊富な湧き水を生かした1次産業や農業実務を学ぶ2週間の現地研修を取材した。研修は2021年10月10日から23日までのおよそ2週間で、参加者(男性6名、女性8名)はイワナの養殖やワサビ・クレソンの栽培、ヒツジの飼育などの1次産業、産物の加工品や加工食品づくりの6次産業、農家民宿の経営、野菜の収穫作業や羊の毛刈りなどの実務体験を学んだ。
白神山地の大きな恵み
藤里町は秋田県の最北部に位置し、青森県との県境にある世界自然遺産の白神山地には標高1千メートル級の山々が連なる。町内には白神山地を源流とする藤琴川と粕毛川の二つの川が流れ、白神山地の広大なブナ林でろ過されたふんだんな湧き水は、飲用水、稲作、イワナ養殖、ワサビや野菜の栽培などに使用されている。また、白神山地の肥沃な土地で放牧される羊は肉質が良いと評判。
市川サツさんはワサビの栽培歴50年。「ハウス内のワサビ畑を流れる湧き水は凍ったことがないし、冬は暖かいので雪でハウスが壊れたことも一度もないんですよ」と話す。市川さんのハウスでは、ワサビのほかにセリやクレソンも栽培され、都市圏へ出荷されている。
大野岱(おおのだい)放牧場で羊を飼育する宮野洋平さんは群馬の観光農園で羊の飼育の経験があり、「自分の牧場を持ちたい」と夫婦で藤里町に移住。「国産の羊の肉は本当にうまいですよ。来年初めて出荷するので楽しみです」と嬉しそうに語る。
農家民宿の野菜畑で収穫体験
農業の実地体験では、農家民宿「のっこの家」を経営する鈴木ノリ子さん所有の畑で、里芋、大根、大和芋、キャベツの収穫を行った。鈴木さんの指導の下、里芋の株を一つひとつクワで掘り起こし、くきを刈り、根から十数個の里芋をもぎ取る。
「一つの株からこんなに里芋ができるなんて知らなかった」と驚く参加者。大根は収穫したら、水桶で手洗いする。「育ち過ぎると裂け目が入るんだよ」と鈴木さん。
鈴木さんは農家民宿を始めて4年。畑は20年前から耕作している。計3カ所の畑で、栗、キャベツ、ニンジン、白菜、トマト、かぼちゃ、じゃがいも、チンゲン菜なども栽培する。毎年、種を植える前にご主人がトラクターで耕し、堆肥などを使って土壌を豊かにする。畑作業は一人でしている。
鈴木さんは、「実際にクマの姿は見たことはないけれど、今日はこの畑の横に足跡があった。栗を食べに来たみたい。サルはよく見るけど歌いながら作業していると寄って来ないね。野菜は収穫もうれしいけど、種を植えて芽が出たときが一番うれしい」と楽しそうに話す。
牧場の見学とヒツジの毛刈り体験
畑の収穫体験の次は、ヒツジの牧場見学と毛刈りの体験。町営の大野岱(おおのだい)放牧場へバスで移動する。白神山地の麓の広々とした台地には多くのヒツジや牛が放牧されている。
この牧場でヒツジの飼育をする宮野洋平さんから、ヒツジの飼育方法や国産のヒツジの可能性、資金調達ほか経営面のポイントなどのレクチャーを受け、手取り足取りの指導の下、毛刈りを体験した。参加者から、「クマがヒツジを襲うことは?(回答:クマは来ないがキツネが来るので注意)」「ヒツジが病気のときはどうしていますか?(回答:ある程度のことは自分でやるが、難しいときは獣医に来てもらう。ヒツジは我慢強いので体調の変化をよく見ないといけない)などの質問があった。毛刈り体験をした参加者の一人は、「ヒツジの皮膚を触ると手がつるつるしますね」との感想を述べた。
宮野さんは、「牧場経営に魅力を感じた。牧舎を建て、牧草やヒツジの世話も全部自分でできる。国産ラム肉は本当においしく可能性を感じている。来年は牧羊犬も飼う予定」と抱負を語った。
夕食は毎日合同で
同町粕毛地区の「粕毛はなの民泊通り」と名付けられた300メートルの通りには6軒の農家民宿があり、お客さんが宿泊する日はその民宿の前に通りの名前がデザインされた旗が出される。4年前に6軒が一緒に民宿を始めた。この通りには今回の研修のコーディネーターでもある「NPO法人ふじさと元気塾」が空き家を改修して整備した、一棟貸しの「貸し田舎・南白神ベース」も先日オープンしたばかりで、今回の研修でも研修生の宿泊や昼食のバーベキューなどで活躍した。
研修の参加者は各民宿や南白神ベースなどへ分散して宿泊したが、研修が二週間と長期のため、女将さんたちの負担を軽くしようと夕食は粕毛交流センターで参加者全員が合同で毎日取ることになった。食事は女将さんたちが当番で担当した。「毎日夕食を一緒にするので交流が進みますね」と、参加者同士の距離も縮まった。
農家民宿「陶(とう)」の佐々木喜恵子さんは自分で採った山菜を使う料理が得意。地元産の馬肉と貴重なホウキダケ、マイタケを砂糖としょうゆで煮込んだ料理は合同夕食でも出され、好評だった。「昔から祝いの席では馬肉料理を出しますね。マツタケやホウキダケ、マイタケなどが生える場所は秘密です。農家民宿では藤里町にはいないデザイナーやイラストレーターなどの職業の人と会えるのが面白いですね」と佐々木さんは楽しそうに話す。
米とねぎの栽培をしたい。いつか自分の農園を持ちたい
3人の参加者に今回の研修に参加した経緯や今後の展望などを聞いた。
浅岡さん(千葉県出身、28歳)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
今回の研修はニュースで知った。農業に関心があったが、直接農家に接触するのは難しいし、千葉県以外の地域の農業を見たくて研修に応募した。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
イワナの養殖など、千葉県にないものを研修できてよかった。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
千葉県で米とねぎの栽培をしたい。これから就農に向けて準備したい。
青柳好記さん(東京都出身、46歳)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
今回の研修はJALのホームぺージで知り、面白そうだったので応募した。自然が好きで第一次産業に興味があった。自分でも貸農園でほうれん草、ケール、にんじん、トマト、ゴーヤ、ソラマメ、ハーブ、大根などを作っているが、味が全然違う。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
農業だけでなく他の1次産業も学べて有意義だった。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
農業を含めて今後の可能性について模索している。日本の食料自給率の低さは大きな問題。自給率向上に寄与できる活動に参加できればと思う。
清水久美子さん(東京都出身、50歳)
―プログラムへの参加のきっかけを教えてください。
知人から今回の研修の募集を聞いた。農業に関心があり、貸農園で自分でも野菜を作り、東京都の援農ボランティアにも参加している。6次産業にも興味がある。
―実際に現地で参加してみて、いかがでしょうか?
宿泊した農家民宿の女将さんから、野菜の収穫の話などいろいろ教えてもらってとても勉強になったし、貴重な経験を積めた。
―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?
農業の知識を増やし、レベルを上げたい。今は農家の手伝いをしているが、いつか自分の農園を持ってみたい。
(了)