長野県飯島町は県南部の伊那谷の中心に位置し、西は中央アルプス、東は南アルプスを望む「ふたつのアルプスが見えるまち」(飯島町ホームページ)。人口は8863人(2025〈令和7〉年1月)。気候は年間と日中の寒暖差が大きい大陸性気候で、基幹産業の農業は米やソバ、リンゴ・ナシなどの栽培が盛ん。江戸時代には伊那谷の天領直轄の代官所(飯島陣屋)が置かれ、陣屋跡は明治時代には伊那県庁として使われるなど、200年近く当地は政治上重要な役割を果たしてきた。
同町で行われた株式会社和郷主催の「WAGO Agri College」実地研修(第1回)を取材した。研修は24(令和6)年の10月25~28日までの4日間で、15人(男性8人、女性7人)が参加。地元農家による飯島町の農業や米、ソバ、リンゴ栽培の座学と作業体験(ソバの刈り取りや脱穀、選果、リンゴの葉摘みなど)、わら細工伝統文化継承者によるわら細工の座学やしめ縄作り、飯島陣屋の見学などの研修メニューを通じ、飯島町の農業や伝統文化、歴史について理解を深めた(取材は26、27日に実施)。
農作業体験 ソバの刈り取り
最初の研修は、研修生の宿泊先であるiiネイチャー春日平から株式会社田切農産の紫芝勉代表取締役が所有するソバ畑に移動し、ソバ栽培の知識を学んだ後、鎌で刈り取ってひもで縛り束ね、立てかけるまでの作業を行った。
紫芝社長の畑で栽培されている品種は信濃1号で、種まきから約3カ月で収穫できる。8月下旬に種をまき、刈り入れの時期を迎えた。紫芝さんから「ソバはロシア、中国の生産量が多く、生育には冷涼な気候が向いている。受粉には天気が重要で、今年は暑かったので収穫量は少ないかもしれない」「種をまく日によって収穫量が変わる。同じ品種で年二作はできない」などの説明を受けた。研修生から肥料について質問された紫芝社長は「土作りが大事。肥料をやらないと収穫量が少ない」と答えた。
座学の後は、紫芝さんの指導の下、鎌(のこぎり鎌と言われ稲刈りに使用する鎌)を使ったソバの刈り取り作業を体験した。刈り取ったソバはまとめてひもで縛り、乾燥しやすいように立てかけた。
飯島町の農業を学ぶ
ソバの刈り取り作業を終えると田切農産本社へ移動。米、ソバ、大豆の大型乾燥機など主要設備の案内の後、紫芝社長より座学で飯島町の農業や田切農産の事業内容の説明を受けた。
飯島町はもともと養蚕が盛んなところで、地域で製糸会社を設立・運営している。町の農業は米、ソバのほか、リンゴやナシなどの果樹の栽培などが中心だが、担い手の不在が大きな問題で5年後は農業者が大幅に減ることが見込まれている。このため地域の農業を守ろうと260戸の農家が株主となって会社(田切農産)を立ち上げ、農家の利益確保に奮闘。また、個々の農家では対応できない問題を解決しようと集落営農組織を設立し、農道の整備などを行っている。こうした活動により国内外から飯島町に移住、就農する人が増え、イタリアからの移住者はネギなどイタリアの野菜を栽培しているという。
紫芝さんは「就農する人を受け入れる体制ができている。バックアップするのでぜひ飯島町で農業を」と研修生に町での就農を勧めた。また、「農業は売り先が大事。どこに直接販売するかを決めて野菜を作る」「農業の魅力は無限大でこんなに楽しいことはない。やっただけのことはあり、いろんな人に会える」とビジネスのポイントと農業の可能性について熱心に説いた。座学の後は刈り取ったソバの脱穀と選果の作業体験に移った。
ソバの脱穀、選果作業
ソバの脱穀と選果の作業は、伝統的な農業を学ぶためにコンバインなどの機械ではなく、足踏み式の脱穀機や唐箕(とうみ)といった人力で操作する器具を使って行った。足踏み式脱穀機は明治時代に発明され、人が踏み板を踏むと自動的に歯が付いた丸い胴が回転し、刈り取ったソバを脱穀できる。唐箕は古代中国で発明されたといわれ、人力でハンドルを回して起こした風を利用し、脱穀した実を殻や塵とに分類する。コンバインは刈り取り、脱穀、唐箕など一連の作業をすべて一台で行えるが、紫芝社長は「古くからの器具を使うと脱穀や選果の工程が理解できるし、人による丁寧な作業なのでコンバインよりも歩留まりが良く収量が多くなる」と研修の意義を説明した。
研修生らは紫芝社長の指導の下、①脱穀 ②脱穀して地面に落ちたソバの実を集め大きなゴミを取り除く ③唐箕で②で回収したものをソバ(重、軽)とソバ殻やゴミに分類するー三つのグループに分かれ、交代で作業を行った。研修生は、初めての作業と器具の取り扱いに最初は戸惑いながらも互いにアドバイスをしながら徐々に習熟し、作業の効率を上げていった。紫芝社長も「こんなに熱心に作業してくれてうれしい」と笑顔で様子を見守った。
今回の一連の作業で収穫した約20キロのソバの実は約12キロのソバ粉となり、200人前の分量。収穫したソバは次回の研修時に研修生に振る舞われるという。乾燥させるためソバの実をシートに広げ、この日の研修を終えた。
わら細工の現状を学び、しめ縄作り体験する
米作りで生まれる稲のわら細工は正月飾りや神事などに使われ、伝統文化として日本の暮らしに根付いているが、稲作の減少や高齢化によって、わら細工職人が激減している。飯島町内に本社を置く「株式会社わらむ」の酒井裕司代表取締役は精肉会社から転身し、稲わら細工の技術継承に奮闘している。最初に座学で、酒井社長からわら細工の現状と同社の活動について説明を受けた。
酒井社長がわら細工に関わったのは、米作りが盛んな飯島町を盛り上げようと米俵を担いで走る「米俵マラソン」を発案したこときっかけだ。米俵を編む人がいなかったため、技術を持つ人を探して指導を受け、自分で編むことになった。この体験が社の創業につながり、現在は大相撲の土俵の俵作りや伊勢神宮、春日大社のしめ縄作りも行うなど、わら細工技術を継承する重要な存在となっている。酒井社長は「わらむは、大相撲の土俵を製作できる日本で唯一の職人集団です。わらを使った観光など利益を上げられる仕事を作りたい。稲わら1本に付加価値を付けて地域経済を回すことを目指しています」と今後の抱負を熱く語った。
座学の後は酒井社長の指導の下、しめ縄作りを体験した。最初に酒井社長がわらをなう作業の手本を実演。両手でわらをねじる動きを見せながら「この動きができれば細工ができます。縄なえの技術は農業の基本でいろいろなことに応用できる。しめ飾りは毎年買うものですし、手作り品は需要があります。職人になってみませんか」(酒井社長)と説明した。研修生らは酒井社長から技術的な指導を受けながら試行錯誤を続け、それぞれしめ縄作りに没頭した。
リンゴ栽培を学び、葉摘み作業を体験する
しめ縄作りの後は果樹農家の高橋豊さんのリンゴ園で、リンゴ栽培の現状について学んだ。高橋さんは妻と息子の3人で、計1.5ヘクタールの果樹園を運営し、年間にリンゴは1000箱、ナシは600箱を出荷。リンゴはシナノスイート、ふじ、紅玉、シナノゴールド、王琳、ナシは20世紀などの品種のほか、サクランボやスモモも栽培している。受粉はミツバチを借りて行うという。天敵は夜峨とカメムシ。高橋さんは「畑に大型機械が入らないのですべて手作業。最近カメムシの被害が大きく殺虫剤を使っている。夏の草刈りも大変。霜にやられると商品にならない」などリンゴ栽培の苦労と注意点を説明した。
続いては、リンゴの葉摘み作業を体験。光を遮る葉の摘み取りは、リンゴの実全体にまんべんなく日光を当ててムラのない美しい色に仕上げ、成長を促進して糖度を高めるのに重要な作業。葉を摘み過ぎると光合成が不足するのでそのバランスが大事だ。高橋さんからリンゴの実に触れている葉など、どの葉を摘むのか説明を受け、研修生は作業に励んだ。葉摘み作業をしながら、順調に成長していないもの、日焼けや茶色に変色したものなど、商品にならないリンゴを間引く作業も並行して行い、この日の研修を終えた。
研修生に聞く
H・Sさん 神奈川県在住
A・Sさん 東京都在住
(農業で)1人でできることを模索している。
K・Mさん 神奈川県・鳥取県の2拠点生活
K・Sさん 東京都在住
S・Nさん