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イーハトーブの里で『農的暮らし』と『商い』を学ぶ―岩手県花巻市

イーハトーブの里で『農的暮らし』と『商い』を学ぶ―岩手県花巻市

花巻市内の胡四王山から早池峰山を望む
花巻市内の胡四王山から早池峰山を望む
胡四王山の森に囲まれた宮沢賢治記念館
胡四王山の森に囲まれた宮沢賢治記念館
花巻市役所庁舎
花巻市役所庁舎
 岩手県花巻市は、県中西部に位置し、人口は約9万人。気候は大陸性気候で、寒暖の差が大きい。夏季は気温が30度を超えるが、冬季は放射冷却により、“しばれる”(当地の方言で冷たく乾燥した空気が肌を刺すように痛いと感じる底冷えのこと)日が何度かある。
 市の西部には、東北有数の温泉地、花巻温泉郷がある。詩人で童話作家の宮沢賢治は市内に生まれ、作品中に登場する架空の理想郷に岩手県をイメージして「イーハトーブ」と名付けている。市内には詩碑をはじめ、イギリス海岸など同氏ゆかりの地が多数あり、県の内外から観光客が訪れる。また、日本三大そばの一つ「わんこそば」の発祥の地とも言われ、岩手県を代表するモチーフが多い。近年は花巻東高校野球部出身の大谷翔平、菊池雄星両選手が米国の大リーグで活躍し、地元を大きく盛り上げている。
 農業と共にある暮らしとビジネスを学ぶ研修プログラム「複業村の農Ⅹ」が、同市で6月から10月にかけて計5回行われ(2泊3日が4回、1泊2日が1回)、2回目となる7月14日から16日までの3日間の研修を取材した。
 今回の研修テーマは「みんなのSelf-Build」。参加者(男性5人、女性1人)は当地の野菜の生産者や経営者などから、手作りで立ち上げた農業関連のビジネスや伝統文化、地域の暮らしや盛り上げ方などを学んだ。
 この研修で地域コーディネーターを務める株式会社雨風太陽の情報誌「東北食べる通信」の阿部正幸編集長は、「物事は細かいところが大事です。ミクロの積み重ねは自分の資産になる。今回の研修の受け入れ先はそれぞれ手作りでミクロを積み重ね、自分のライフスタイルを作ってきた方たちです。研修では現場の過程を見てその精神を吸収してほしい」と今回のテーマを語った。
JR新花巻駅の待合室にある花巻東高校野球部出身者の展示コーナー
JR新花巻駅の待合室にある花巻東高校野球部出身者の展示コーナー

■湖畔の新しい観光資源

「ぼうまい村」村長に話を聞く
 花巻市の地域おこし協力隊の坊迫舞香さんは、市東南部に位置する東和町の田瀬湖畔(JR新花巻駅から遠野方面に車で25分)で築70年の古民家を手作りでリノベーションし、宿泊施設やサウナ、カフェを常設したイベントの拠点ともなる観光資源の立ち上げを準備している。同施設は、坊迫さんの名前(ぼうさこ・まいか)から「ぼうまい村」と名付けられ、坊迫さんは村長。このプロジェクトの運営母体として株式会社「Hug」を設立し、代表取締役に就任。自身が栽培するホップで造ったビール(「ぼうまいビール」)の販売も行っている。

 研修生は作業中の古民家で、坊迫さんから同施設の立ち上げに至る経緯や今後の展望などについて話を伺った。

 坊迫さんは、「私は滋賀県出身で湖に引かれてやってきました。岩手県内のいろいろな空き家を見てきましたが、田瀬湖畔のいい物件を見つけられてよかったです。改修していると2階の天井裏にハクビシンの巣を見つけました。冬は灯油代金など生活コストがかかりますが、古いものを新しくして仕事をつくり、この地域のエンタメを目指します。狩猟免許も取得しました。いずれ狩猟体験を生かしたジビエ料理の提供などもやりたい。メキシコで働いたことがありスペイン語ができるので、リモートでメキシコ人に日本語を教えています。できること、やりたいことをどんどん進めていきたい」と熱く語った。

 以下は研修生からの主な質問と回答。
 研修生からは、「刺激になった」「すごいことをされている」「未来が楽しみ」「頑張っている人を応援したい」「自分のやりたいことを自由にやっているところがすごい」「自分に素直にやってきたことを強く感じた」などの感想が聞かれた。
坊迫さんとリノベーション中の古民家
坊迫さんとリノベーション中の古民家
古民家で説明を聞く
古民家で説明を聞く

■地域を知る

丹内山神社 「カブト虫ふれあい童夢」 佐野静子さんの暮らし
 続いての研修では、「えふえむ花巻」株式会社のパーソナリティーである梅村哲子さんのガイドで、緑豊かな稲田と山林が広がる東和町の地域と暮らしを学んだ。
 丹内山神社は、古くは坂上田村麻呂も参籠し、1300年の歴史があるという。岩手県の有形文化財に指定されている本殿は彫刻が素晴らしく、「本殿脇障子の唐獅子をなめると居眠りしない」などの七不思議が伝えられる。
丹山内神社本殿
丹山内神社本殿
 丹山内神社から車で移動し、「カブトムシふれあい童夢」へ。ドーム内に放し飼いされた1万匹のカブトムシを誰でも触れることができる施設で、毎年7月上旬から約1カ月間、土日祝日のみ開園しており、県内外から1日500~600人が訪れるという。見学当日は雨のためカブトムシの姿は少なかったが、研修生たちは菌床しいたけの原木に集まるカブトムシに触れながら、施設管理者からの飼育方法や習性などの説明に聞き入っていた。
施設管理者(右から4人目)から説明を受ける研修生たち
施設管理者(右から4人目)から説明を受ける研修生たち
雨に濡れたカブトムシ
雨に濡れたカブトムシ
 昼食は、東和町内の土沢商店街にある「ワンデイシェフの大食堂」で取った。同レストランは日替わりでシェフが交代する方式で、主婦やOL、学生、プロの料理人がランチやディナーを提供している。
この日のメニューは、豚の甘酒生姜焼き、枝豆ご飯、塩麹サンラータン春雨など
この日のメニューは、豚の甘酒生姜焼き、枝豆ご飯、塩麹サンラータン春雨など
 続いては梅村さんの実家で母親の佐野静子さんから花巻の山村の暮らしなどについて伺った。山林へつながる佐野さん宅の庭には、アジサイやアオイなどさまざまな花が咲き、百花繚乱(りょうらん)の趣で、手入れには除草剤を使わないという。
 今年78歳の佐野さんは、オランダで花の栽培を学び、町内のフラワースクールで指導した花の専門家で、現在は自宅内で花屋を経営している。花巻市の「生涯学習講師」(知識や技能を持つ市民が講師として指導する制度)にも登録し、依頼に応じて婦人部や地区、PTAなどの研修会でフラワーアレンジメントや押し花、山の幸染めを教えている。
 佐野さんは当地の暮らしやさまざまな思いなどを研修生に伝え、「80歳になったらここで店(カフェ)を出したい。庭を見ながら無農薬野菜を使った手作り料理を楽しんでもらいたい」とうれしそうに夢を語った。佐野さんから研修生に手作りの無農薬野菜と自家製の味噌が振る舞われた。
花巻の暮らしと夢を語る佐野静子さん(右から2人目)
花巻の暮らしと夢を語る佐野静子さん(右から2人目)
佐野さん手作りの無農薬野菜と味噌
佐野さん手作りの無農薬野菜と味噌

■ワークショップ

こびり(おやつ)づくり 「北のくらし研究所」 夜神楽体験
 佐野さん宅から「谷内伝承工房館」と「旧小原家住宅」へ車で移動し、「東和棚田のんびりRun」実行委員会が企画・主催の「こびりづくり&夜神楽体験ワークショップ」に参加した。東和棚田のんびりRunは、東和町内の美しい棚田をゆっくり走りながら地域の人々と交流するイベントで2018年から毎年9月に開催されており、ワークショップはそのプレイベントとして開催。今回の企画を提案した同委員会の伊藤ケイ子さんは「参加者の皆さんに東和の風土や伝統芸能に触れてもらい、東和ならではのリズムや雰囲気を体感してほしい」と開催の趣旨を語った。
 谷内伝承工房館は、厨房を備え、伝統的なおやつ作りやわら・竹細工、そば打ちなどが体験できる東和町の地域コミュニティー施設。同館近くの旧小原家住宅は、人と牛馬が共に暮らした「南部曲がり家」と呼ばれる江戸時代の住居で、国の重要文化財に指定されている。
「谷内伝承工房館」で“こびりづくり”が行われた
「谷内伝承工房館」で“こびりづくり”が行われた
夜神楽が行われた「旧小原家住宅」
夜神楽が行われた「旧小原家住宅」
 研修生たちは、まず昔ながらのおやつ作りを体験。花巻の方言で休憩時のおやつのことを「こびり」という。今回の「こびり」は、地元産の米粉を使ったピザとみょうが葉焼きで、同委員会の多田睦恵さんの指導の下、米粉のピザを手作りし焼いて食べる。
 作り方は、米粉やグルテン、ドライイーストなどの材料を入れたボウルに温めた豆乳を入れ、こねる。自然発酵させて麺棒で伸ばした生地の上にベーコンやアスパラガス、いぶりがっこ、トマトケチャップ、チーズなどを乗せ、オーブンで焼いて出来上がり。
材料が手に付かなくなってから200回以上こねる
材料が手に付かなくなってから200回以上こねる
 研修生は材料を黙々とこね、多田さんのこね具合のチェックに合格すると生地にトッピングし、ピザが焼き上がると賞味した。「同じ具材を乗せているのに図柄に個性が出ますね」「自分が作ったピザを食べるのは初めて」「うまい」「小麦粉とは違ったさっぱりした味」「いぶりがっこがよく合う」(研修生)。
 ピザづくりの後は、地元の伝統的な「こびり」のみょうが葉焼きとそうめん汁が研修生に振る舞われた。みょうが葉焼きは水で溶いた小麦粉にみじん切りした根しょうがと塩を入れミョウガの葉にはさんで焼いたもので、季節感のあるおやつ。こびりづくりを終えると近くの旧小原家住宅へ徒歩で移動した。
こね具合をチェックしてもらう
こね具合をチェックしてもらう
トッピングが完成
トッピングが完成
最後にチーズを乗せる
最後にチーズを乗せる
焼き上がったピザ
焼き上がったピザ
みょうが葉焼き
みょうが葉焼き
 旧小原家住宅では、「北のくらし研究所」(秋田県美郷町)の奥山智佳等所長から地域活性化の取り組みの事例発表があった。東和町との連携は、奥山所長が同町のイベントに参加したことがきっかけとなって始まったという。奥山さんは、同研究所の設立の経緯や理念、活動状況を研修生たちに説明した。同町では今年の春から、旧役場庁舎を活用したアーティストインレジデンス(芸術家が通常とは異なる場所に滞在し創作活動を行う)プロジェクトが始まっている。
「北のくらし研究所」の活動状況を語る奥山さん(左奥)
「北のくらし研究所」の活動状況を語る奥山さん(左奥)
 この日最後の研修は、夜神楽体験。花巻市内の神楽を愛好する「神楽馬鹿連中」と「神楽馬鹿交流会」が共同で、神楽の説明や実演、使用する楽器の太鼓や手平鉦(てびらがね)の演奏指導を行った。国の重要文化財の屋内での神楽体験は貴重である。

 冒頭、「神楽馬鹿交流会」の新田彩乃さんと出演団体のメンバーが、神楽と神話の関係や花巻の神楽の歴史をクイズを交えて説明。その後に新田さんが神楽を実演した。

 「花巻には、早池峰神楽、大乗神楽、円万寺神楽、大神楽の四つの神楽があり、きょうは早池峰神楽の演目を舞います」(新田さん)。早池峰神楽は、2009(平成21)年にユネスコ無形文化遺産に登録され、500年以上の伝統があるという(花巻観光協会HPより)。

 演目は「おしき舞」。扇子と盆を持って舞う。動きが速く、盆を両手に乗せたまま後転を3回するなど、難易度はかなり高い。

 新田さんは、小学校の卒業記念に地元伝統芸能の「立石百姓踊り」に取り組み、その後同じ地元の土沢神楽を始めたことが神楽との出会いだという。現在は、神楽をいろいろな形で多くの人に見てもらおうと「神楽馬鹿交流会」を開催するとともに新団体の「神楽馬鹿連中」を立ち上げ、公演活動を行っている。「郷土芸能は伝承がないと廃れます。神楽は決して堅苦しいものではありません。多くの人に興味を持ってもらうことで担い手が増えればうれしいです」(新田さん)と開催の趣旨を語った。

 舞の後、研修生は新田さんから扇子の扱い方や盆を落とさない動きなどの指導を受け、楽器奏者の方から太鼓や手平鉦の演奏を実習した。「右手と左手で違う打ち方を同時にしないといけない。難しいですね」(太鼓の演奏を学んだ研修生)。
花巻の神楽の歴史を学習する
花巻の神楽の歴史を学習する
「おしき舞」を実演する新田さん(上2枚)
「おしき舞」を実演する新田さん(上2枚)
「おしき舞」を実演する新田さん(上2枚)
扇子の使い方を学ぶ
扇子の使い方を学ぶ
盆を落とさない動きを実習
盆を落とさない動きを実習
太鼓の演奏を習う
太鼓の演奏を習う
全員で記念写真
全員で記念写真

■マルシェ見学

出店者との交流 宮沢賢治設計の花壇
 研修最終日は、花巻市の中心部の一角で開催されるマルシェ「こもれび朝市2023」を見学した。同マルシェは、花巻市が都市の再生を目的に主催するリノベーションスクールの参加者が2018(平成30)年に農機具の倉庫だった当会場を活用しようと企画したのが始まりで、今回で8回目の開催。「街中で、ちょっと特別な暮らしの風景を描く」をコンセプトに毎月1回日曜日に開催されている。出店者は開催月により若干の変動があり、SNSで毎月の出店情報を発信している。
 見学した当日は、近郊の農園経営者や農家、海産物店などから10店舗が出店し、新鮮野菜や野菜の加工食品、焼き菓子、ドレッシング、乾燥ワカメなど各種商品が販売されていた。研修生は出店者の方々から、出店の経緯と商品のコンセプト、経営の苦労や楽しさなどを聞いた。
 マルシェ見学の後に、会場近くの旧橋本家別邸(「茶寮かだん」)に移動し、宮沢賢治が設計した花壇を見学。同所は昭和初期の建物で、現在は喫茶やランチが楽しめる。この見学をもってすべてのメニューが終了し、解散場所となるJR新花巻駅へ向かった。
マルシェを見学
マルシェを見学
出店者から説明を受ける
出店者から説明を受ける

■研修を振り返る

新しいつながりはいずれ線になっていく
 JR新花巻駅の待合室で最後のミーティングを行った。研修生たちは3日間を振り返り、「東京の出身で地方の大学に学ぶ学生ならではの視点で、花巻の知ってもらいたいところをアピールしていきたい」「これまで会社員の視点しかなかった。自分のやりたいことを中心にやっている姿はすてきだった。そういう生き方をしてみたい」「会う人会う人の理念をすごく感じる研修だった」「人とつながることを考えないといけないと思った。人は居場所が必要。商店街がよかった」などの感想を述べ合った。
 今回の研修の事業主体者である株式会社農ライファーズの染矢優生さんが「今回の研修の受け入れ先は皆さん行動する方々だった。キーワードはコミュニティー。新しいつながりはいずれ線になっていくと思う。引き続き頑張ってください」と研修生にエールを送り、すべての研修を終えた。
JR新花巻駅の待合室で研修を振り返った
JR新花巻駅の待合室で研修を振り返った
JR新花巻駅前で最後の集合写真
JR新花巻駅前で最後の集合写真

■研修生に聞く

農業をずっとやっていきたい

菅家 英洋さん(45歳) 東京都在住

――会津の兼業農家出身で今は父母が家庭菜園程度の農業をしており、以前コシヒカリを作っていた田は耕作放棄地になっています。 長男なのでいつか帰らなければと思っていますが、東京に25年いていきなり帰ってもすぐに農業はできないのでその準備で研修に参加しました。 宮沢賢治が好きで花巻の研修を選びました。

――今まで(課題の)解決策ばかり考えていました。坊迫さんや梅村さんのお母さんの話を聞き、やりたいことをやればよくてワクワクすることを走りながら考えるという発想や姿勢を学びたいと思いました。皆さんパワフルでした。

――将来的には故郷に住もうかと。今は準備段階で農業に限らず自分でできることを増やしたい。帰ったら小商いも始めたい。

白城 聡さん(60歳) 神奈川県在住

――3年前に知人から「早期退職して花巻でブドウ栽培を始めワインを造っている」との残暑見舞いをもらい、自分もやりたいと猛烈にスイッチが入りました。横浜の社会人向けの農業学校や神奈川ホームファーマー制度に応募し、それぞれ1年間通いました。花巻の研修に参加したのは、株式会社雨風太陽の代表の高橋博之さんに実際に会ってみたかったからです。

――今まで会社で自分の役割を果たすことだけをやってきました。坊迫さんのようにやりたいことをやるという視点は、とても刺激を受けました。

――自宅近くで来年4月から3000平方メートルの土地を借りることができます。ライフスタイルの一つとして農業をずっとやっていきたい。

吉井 正彦さん(52歳) 大阪府在住

――コロナ禍で仕事がなくなり、好きな読書をしながら人生の秋休みという感じで後半の生活スタイルを考えていたところ、自分の好きなことをやるのが豊かでいいと思いました。コロナ禍明けに田舎で自分の食いぶちを稼げればと模索していたところ、この研修をネット検索で見つけ参加しました。

――講義など知識の習得ではなく人がベースに研修が進み、いろいろな人に会えるのはとてもいいです。次のアクションの参考になりました。

――花巻に短期で住んでみたいです。大阪との2拠点の生活でいろいろと考えたい。花巻の魅力は、(商業ベースに)侵食されていないところ。風景が美しい。 子どもの頃みたいに金を使わなくても生活を楽しめたらと思います。
(了)
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