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カルデラの村、「水が生まれる郷」南阿蘇で農業を学ぶ~熊本県南阿蘇村

カルデラの村、「水が生まれる郷」南阿蘇で農業を学ぶ~熊本県南阿蘇村

 阿蘇カルデラは、27万年前から9万年前にかけて起こった4回の超巨大噴火によって形成され、南北25キロ、東西18キロと世界最大級の大きさを誇る。このカルデラの中央には、今も活発に活動を続ける阿蘇中岳を含む「阿蘇五岳」が連なり、カルデラ上には、1000年以上とも言われる年月をかけて、野焼きや放牧、採草など人の手で作り守られてきた広大な草原、そして水田が広がっている。地球のダイナミズムが作り出した阿蘇の風景美と、そこに生きる人々が培ってきた人工的な風景美が見事なまでに調和しながら、四季折々の雄大な表情を見せている。

 熊本県北東部、阿蘇五岳と外輪山に囲まれた南郷谷(阿蘇カルデラの南側の谷)に位置する南阿蘇村は、2005年2月に阿蘇郡の白水村、久木野村、長陽村が合併して発足。人口はおよそ1万人。日本名水百選の一つ「白川水源」をはじめ、平成の名水百選に選ばれた「南阿蘇村湧水群」からなる11カ所もの水源を有し、「水が生まれる郷」と称される。また、この村を語る上で、2016年4月に起きた熊本地震は忘れてはならない。震災から6年以上がたった今も村では復旧・復興に取り組む一方、地震の記憶を風化させないよう、旧阿蘇大橋や旧東海大学阿蘇キャンパスなど複数の震災遺構の保全・整備といった活動も続けられている。

 阿蘇の大地の中に力強い人々の営みが確かなこの南阿蘇村で、今回実施された農業研修を取材した。11月30日から12月13日の2週間のスケジュールで、研修には全国各地から6人(男性2、女性4)が参加。研修タイトルは「ムラ暮らしインターン ~いちご農家編~」。イチゴは南阿蘇村の特産物だ。

日本名水百選のひとつ「白川水源」。
日本名水百選のひとつ「白川水源」。
俵山峠展望所から南郷谷を見下ろす。
俵山峠展望所から南郷谷を見下ろす。

 研修プログラムは多岐にわたって構成されている。農業の専門家によるワークショップや生産農家が講師になって新規就農の心得などを伝える座学をはじめ、一般社団法人南阿蘇村農業みらい公社や南阿蘇村役場職員からの新規就農支援、移住定住支援に関する制度説明もある。そして、イチゴ農家や有機大豆農家の収穫作業を実際に手伝い、鳥獣対策用の柵の整備作業や公社が管理する圃場の草刈り作業を体験する。その他に、地域コミュニティーの研修として、地区への苗配布の手伝いや、地元農家や既に南阿蘇村に移住定住している方、地域おこし協力隊との交流、野焼きなど草原保全活動の勉強、震災遺構や南阿蘇が誇る水源の見学の時間も設けられ、南阿蘇村とそこで行われる農業について幅広く学べるよう丁寧にサポートされている。

南阿蘇村農業みらい公社

 2021年10月に南阿蘇村の100%出資で設立。農業者の高齢化に伴って耕作を断念された農地を預かり、維持管理し、新たな耕作希望者に対し情報提供やマッチングをする「農地仲介事業」や「新規就農者育成事業」、「農作業受託(そば)」を行っている。南阿蘇村では、古くから久木野地区を中心に「そば」が栽培されており、在来種を大切に守り継いでいる。

阿蘇名産「あか牛」と地域の名物を味わいに「田楽 奥阿蘇」へ

 南阿蘇村入りした日に、阿蘇あか牛肉料理認定店の「田楽 奥阿蘇」(南阿蘇村両併)を訪問した。阿蘇あか牛肉料理認定店は、①阿蘇地域で誕生から肥育まで全期間飼養されたあか牛であること②飼料として阿蘇産の牧乾草や稲わらなどが主に給与されている、または阿蘇の牧野で育った経歴がある―という二つの基準(阿蘇あか牛肉料理認定店ホームページより)を満たしたあか牛しか提供しない。あか牛は阿蘇の大草原で放牧され、伸び伸びとストレスのない環境で育ち、赤身が多く、無駄な脂肪分が少ないため柔らかい。栄養満点の和牛だ。

 阿蘇の大草原は地域住民が「野焼き」を行うことで守られてきた。人間や家畜にとっての害虫を駆除することや、草の生え替わりを促す目的で草原を焼き、保全と再生に努める。あか牛の放牧もまた阿蘇の大草原を豊かにすることに一役買っている。牛は放牧されている間に毎日40~50キロの草を食し、3~6キロ歩くという。草を食べることで生態系を守り、植生の遷移を抑える働きがある。野焼きとあか牛の放牧によって阿蘇の大草原は美しい風景を見せてくれている。

 「田楽 奥阿蘇」では、目の前の囲炉裏(いろり)であか牛を含む南阿蘇村や周辺地域の名産を自ら焼いていただくことができる。

焼き物のメニューは、あか牛、ヤマメ、豆腐、コンニャク、つるのこ芋(阿蘇の火山灰土壌の痩せた土地で育つ里芋の一種。一説に鶴の首の形から名付けられたと伝わっている)、ウズラ、野菜。

焼き物のメニューは、あか牛、ヤマメ、豆腐、コンニャク、つるのこ芋(阿蘇の火山灰土壌の痩せた土地で育つ里芋の一種。
一説に鶴の首の形から名付けられたと伝わっている)、ウズラ、野菜。

串に刺した食材を立て、時間をかけてじっくりと焼き上げる。
串に刺した食材を立て、時間をかけてじっくりと焼き上げる。
「あか牛」は阿蘇山の溶岩プレートの上で焼く。
「あか牛」は阿蘇山の溶岩プレートの上で焼く。
阿蘇の山水で育ったヤマメは注文を受けてから締める。
阿蘇の山水で育ったヤマメは注文を受けてから締める。
「つるのこ芋」は途中で味噌を塗って再び囲炉裏で焙る。
「つるのこ芋」は途中で味噌を塗って再び囲炉裏で焙る。
出来立ての「生あげ」。
出来立ての「生あげ」。
熊本県のソウルフード「だご汁」。
熊本県のソウルフード「だご汁」。
茅葺屋根に干した大根が並ぶ「田楽 奥阿蘇」。
茅葺屋根に干した大根が並ぶ「田楽 奥阿蘇」。

経験豊富な指導員の説明受け、圃場整備作業を体験

 獣道も所々に見られる荒れた土地。以前は農地だったと言うが、今は背丈の高い草に一面覆われている。南阿蘇村農業みらい公社では、農業者の高齢化などで耕作を断念された農地を預かり管理し、新たな耕作希望者に対し仲介する事業を行っている。このような田畑を定期的に整備する目的で行われるのが「圃場整備」だ。直接的にではないが、鳥獣が侵入する対策にもつながっている。

 この日最初の研修プログラムは、午前中いっぱい時間をかけての圃場の草刈り作業。大学での教職歴42年という豊富な指導経験を持つ南阿蘇村農業みらい公社農業指導員の本田憲昭さんにより、背負ったり肩に掛けたりして使う「刈払機」、押しながら使う大型の「草刈機」などの農機具の取り扱い方法や仕組みなどの説明を受けた後、研修参加者は実践に入った。本田さんは、単なる機械の使い方だけではなく、機械の仕組みが持つ意味合いも具体的かつ理論的に説明する。

 「これまで何となくの理解で行っていたことを改めて学ぶことができたのは良い機会」と研修参加者。本田さんの丁寧な説明を受けることで、各参加者はより広く農業への理解を深め、活動の意欲を一層高めたようだ。

 草刈りの実践では、本田さんと研修をサポートする地域おこし協力隊の皆さんが時折アドバイスをしながら研修生たちを見守っていた。本田さんは「興味を持って、理解をするためにはこういった研修で体験をするのが大事」と語った。

けがをしないよう注意を払いながら、刈払機の刃の交換方法を学んだ。
けがをしないよう注意を払いながら、刈払機の刃の交換方法を学んだ。
本田さんの細やかな指導に真剣に耳を傾ける研修生。
本田さんの細やかな指導に真剣に耳を傾ける研修生。
実際に刈払機を使っての作業。重い機種は10キロにもなる。
実際に刈払機を使っての作業。重い機種は10キロにもなる。
草刈機についての指導。
草刈機についての指導。

興味を持って理解する。研修で体験することが大事

~ 南阿蘇村農業みらい公社 農業指導員・本田憲昭さんに聞く

 長年教壇に立った経験をもとに、今は南阿蘇村の美しい景色と農業を守る人材育成にも尽力されている本田さん。現在村の農業が抱える問題と、就農を考えている方々への思いなどを力強く語ってくれた。

―これまで長い指導の経験があるとお聞きしました

 東海大学(阿蘇キャンパス)に42年おりました。最初は動物について。のちに農業を指導していました。

―圃場整備の目的は?

 鳥獣の侵入を防ぐためというより、後にこの土地を耕作できるようにするためにやっています。農地を管理ができなくなった方から公社が農地を預かって作業を行っています。この地域で非常に問題になっているのは、草原の維持ができない、野焼きができないこと。人口も減っていて、若手が少なくなっています。

―熊本地震の影響はここにもあったのでしょうか?

 ここはもともと水害がひどい地域でした。(圃場の正面の山を指して)この山を越えると地震の被害がひどかった地域になります。断層からこちらに来るにつれて被害は小さめになっています。

―全国各地から南阿蘇村に研修者が来ていることについてどう思われていますか?

 それだけ(農業と南阿蘇村に)興味を持ってもらえているのかなと思います。今までは何不自由ない生活環境にいた方もいるようだし、実際、農業というのは汗水垂らしてやるものだと考える方もいると思います。興味を持って、理解をするためにはこうした研修で体験をすることが大事。それから、作業の基本は自分がけがをしないことが一番。研修会で何をするにしても、農工具品の研修を受けていないと使えません。農工具品の取り扱い方全てが「けがをしないように」ということにつながっています。

―この刈払機も大きいですね

 重いものは10キロくらいにもなります。6~7キロが標準で、軽いものは5キロ。切りたいものによって使う機械を変えます。草刈り自体は1年間通して場所を変えながらやるものです。実際に耕作しているところは年に2~3回行います。南阿蘇村はオーガニックでやっているので、より病気との闘いです。冬は機械の整備をしたり、ビニールハウスの整備・新築したりしています。

―南阿蘇村の農業の特徴は何でしょうか?

 今は施設園芸が多いですね。イチゴ、アスパラガス、トマトなどが有名です。露地(露地栽培。ビニールハウスや温室などで保護管理せず、自然のままで野菜などを栽培すること)ものは少なくなっています。気候が温暖化してきているので、今後は平地で作っているものをこの辺りでも作れるようになるのでないかと思います。他には、牛の放牧ですね。あか牛はもともと放牧牛。ただ、放牧は牛の転落や出産を見逃したり、種付けの時期を逃したりといったことも伴いますので注意が必要です。

農業指導員の本田憲昭さん。分かりやすい説明で研修参加者を引き込む。
農業指導員の本田憲昭さん。分かりやすい説明で研修参加者を引き込む。

南阿蘇の雄大な大地の下で、有機大豆の収穫を体験する

 7日午後からは、無農薬・無化学肥料で大豆を育て、自家製味噌を仕込む「かげさわ屋」を訪れ、生産者の影沢裕之さんから説明を受けながら、大豆の収穫作業のお手伝い。11月から12月は大豆の収穫時期。収穫した大豆はほとんど味噌の原料になる。影沢さんの畑では「フクユタカ」という品種をメインに、複数種の大豆を生産しているそうだ。

影沢さんから大豆の収穫について丁寧な説明を受ける研修生。
影沢さんから大豆の収穫について丁寧な説明を受ける研修生。
脱穀される前の大豆の「さや」。
脱穀される前の大豆の「さや」。
畑全体に散らばっている大豆の「さや」を拾い集め、ひとまとまりにする作業。
畑全体に散らばっている大豆の「さや」を拾い集め、ひとまとまりにする作業。
黙々と作業を進め、あっという間にいくつもの「さや」の山ができた。
黙々と作業を進め、あっという間にいくつもの「さや」の山ができた。
ひとまとまりになった「さや」を順番に脱穀機に投入して大豆を取り出す。
ひとまとまりになった「さや」を順番に脱穀機に投入して大豆を取り出す。
収穫された大豆。大豆10キロでできる味噌は1樽ほど。
収穫された大豆。大豆10キロでできる味噌は1樽ほど。
投入口の反対側からは「カラ」が掃き出される。
投入口の反対側からは「カラ」が掃き出される。
作業後にカラを燃やして焼き芋をつくる研修生。
作業後にカラを燃やして焼き芋をつくる研修生。
作業後に焼き芋味わう研修生(写真提供/南阿蘇村地域おこし協力隊の田上由菜さん)。
作業後に焼き芋味わう研修生(写真提供/南阿蘇村地域おこし協力隊の田上由菜さん)。

作業後に焼き芋味わう研修生(写真提供/南阿蘇村地域おこし協力隊の田上由菜さん)。

工業になった農業を人の手に取り戻す

~ 有機大豆生産者・自家製味噌「かげさわ屋」の影沢裕之さんに聞く

 大豆の収穫作業が一段落し、南阿蘇の雄大な夕焼けを背に、影沢さんに話を聞くことができた。

―移住されたきっかけは?

 育ちは神奈川県ですが、仕事で北海道に8年ほどいたときの友人が、南阿蘇村に住んでいました。私が海外青年協力隊に参加していて、「帰国したら南阿蘇に来なよ」と誘ってくれ、ちょっと南阿蘇に寄ったら居心地がとても良かった。それからここで就農できたらなと思っていました。

―なぜ「大豆」の生産を始められたのですか?

 もともとは農業全般をやっていました。妻が年間3樽だけ味噌を作っていたのですが、それが、だんだん人気になりまして。他の作物も生産していたのですが、それでは間に合わなくなり、今はほとんど大豆ばかりで「味噌屋さん」という感じになりました。生産した大豆はほとんど味噌作りに使われ、それでも足りないくらいです。

―今年は不作とおっしゃっていましたが

 乾燥のタイミングが悪くて。私としては温暖化の影響ではないかなと思っています。大きな実に膨らませるために、大豆は花が咲いた後はお米よりも水が必要です。9月以降この辺りには全然雨が降りませんでした。その影響もあると思います。

―南阿蘇村には有機農業をしたいという人が多いと聞きました

 多いのではないでしょうか。南阿蘇村は無農薬でやっている人が多いので、有機農業に理解があるし、コミュニティーもあります。それで増えているのではないでしょうか。九州では南阿蘇以外には福岡県糸島市や宮崎県綾町も有機農家は多いですね。全国的にも増えているようですが、南阿蘇村はやりやすい環境です。

―南阿蘇村での農業の魅力は何でしょうか?

 「人」がいいこと。適度な人口密度であることですかね。

―将来について考えていること、夢をお聞かせください

 (大豆農業をこれ以上)広げないことです。人はどんどん広げて、農業を工業化していきました。そこを人間の手に戻したいなと。何かを増やすにしても大豆以外のことを増やせばよいのではと思っています。これ以上増やしても大変になるだけです(笑)。これくらいの規模で生活できるなら最高です。

「かげさわ屋」の影沢裕之さん。穏やかで率直な語り口が印象的。
「かげさわ屋」の影沢裕之さん。穏やかで率直な語り口が印象的。

南阿蘇村地域おこし協力隊(南阿蘇村役場/南阿蘇村農業みらい公社)の田上由菜さんに聞く

―南阿蘇村の地域おこし協力隊になったきっかけを教えてください

 いずれは南阿蘇に来たいというのもありましたし、親戚がいるというのもあって。「何かしたい」というその思いだけで来たという感じです。農家も実際やったことはなかったし、両親がやっている家庭菜園を手伝ったことがあるというくらいでした。農業に対してきつそうというイメージはありましたが、そこまでマイナスなイメージではありませんでした。みんな頑張っていて、おいしい食べ物を作ってくれているということへの感謝の気持ちの方が大きかったです。

―地域おこし協力隊に実際に携わっていく中でいかがでしょうか?

 この風景、すごいじゃないですか。他にはないと思います。山を見て、毎日癒やされています。生き生きしていると感じます。ただ、この(南阿蘇村の)風景って自然にできたものではなくて。農家さんが畑を管理してくださっていて、山も野焼きなどきちんとされているから保てています。これまではそういうことを知りませんでした。それを知ってから、「この風景って2、30年後残っているのだろうか」と思ったのです。(かげさわ屋の)影沢さんはお若いですけど、周りを見渡すとおじいちゃんおばあちゃんが腰を曲げながら作業されています。20~30年後、この風景は荒れてしまうのではないかと。それで今の業務に関わってくるのですが、「南阿蘇の風景をつくるごはん」というプロジェクトを立ち上げました。この風景はここでできたものを食べることで守られる。「一人ひとりがこの風景に還元されていますよ」ということを伝える活動をしています。今後の展開としては、飲食店と村の農家さんをつないで、観光客が来るところで地元の農産物が流通するような配送システムを作ったり、ECサイトを立ち上げたりして、南阿蘇村の農産物を買っていただくような施策を考えています。

―今回の研修プログラムについて聞かせてください

 携わったのは今回が初めてです。2021の10月に立ち上がった南阿蘇村農業みらい公社に事務局員として参加しています。村役場の職員さんと一緒に働いてもいます。

―研修参加者のみなさんはいかがですか?

 今回研修に参加された皆さん、本当に積極的な方々が多いです。この体験プログラムを組むときにいろいろなことを考えました。皆さんの農業経験も違えば、意識も違うなと。農業って、つらい面もあれば、楽しい面もあると思いますし、どっちをどれだけ伝えようかということを公社のメンバーみんなですごく悩みました。ひたすら同じ作業をしていてもきついと思うし、ここで交流とかができたらいいのかなと。私が1年間ここにいて関わった多くの農業者の方々ともお会いしていて、改めてすごい研修プログラムだなと思います。参加者からはかなり積極的に質問も出ています。夜ごはんのときにも、たまにお邪魔して皆さんとお話していると、最初は南阿蘇村というわけではなかったけれど、「いいな」と言ってくれる人も多くて本当にびっくりしています。ここまでこの村にフィットしてくれる方々がいるとは思わなかった。

―震災遺構などにも見学に行ったそうですね

 移住を視野に入れている方もいらっしゃるので、どうしてもその話は入れておくべきだなと思いました。他には、市街地に行ってスーパーマーケットに行くのもいいのですが、村の中にあるローカルなお店とか、病院やここ、郵便局は…みたいに「住むとしたらこんな感じだよ」というのをよりリアルに見せたかったのです。「住むところが少ない」ということは皆さんのお話でも上がってきました。現状、ネット上には情報が圧倒的に少ないです。ただ、その割に空き家は結構あります。関わっていくことでネットにない情報が出てきます。南阿蘇村に住みたいという人がいたら、「私や、今回関わった誰かに連絡すればつなげることができますよ」とはお伝えしています。

―南阿蘇村の魅力は何でしょうか?

 まず本当に景色が最高。飽きることがないですね。自然なので、太陽の沈み方とかも毎日違って、霧がかかって見えない日もありますし。自然の中に自分がいることを実感できる村だと思います。あと、人がいいです。皆さん本当に優しいです。今回体験されている方々は感じていると思いますが、すごいウエルカムなのです。ちょっと話して、どういう人かある程度分かったらすぐ「あの人につなげるよ」と言ってくれる。移住者が多くて、そういう面でも受け入れてくれることが多いです。移住者同士でやりとりもできます。主要な農家さんも移住してきている方が多いですね。移住者の方は水とか環境に魅力を感じで来られる方が多いので。南阿蘇村なら有機農業がうまくやれるのではないかと目を付けて来られる方が多いですね。水源がそこかしこにありますしね。村の小学生の自由研究は水の研究が多いと聞きます。蛇口ひねれば地下水です。ぜいたくですね。

―移住・就農を考えている人にメッセージをいただけますか

 まず来てみてほしいというのが一番です。こういうプログラムのような分かりやすいきっかけがあればいいんですけれど、とりあえず来て、見て、体感して、そこで感じたことを大事にしてほしいです。私自身も協力隊になろうと思ったのが、南阿蘇村に来たことがきっかけです。お世話になった方にいろいろとお話を伺って、がぜんやる気になったというか。ありがたいことにいろいろな人に支えてもらってやってきています。

研修参加者と一緒に焼き芋を楽しむ南阿蘇村地域おこし協力隊の田上由菜さん(左)。写真は田上さん提供。
研修参加者と一緒に焼き芋を楽しむ南阿蘇村地域おこし協力隊の田上由菜さん(左)。写真は田上さん提供。

これから先、やりたことはいっぱいある。家族みんなで

~ 南阿蘇ふれあい農園(株式会社みなみ阿蘇)代表取締役 田尻徹さんに聞く

 取材当日の12月7日には、イチゴ農園での研修は行われなかったが、参加者が訪れる農園の一つ、「南阿蘇ふれあい農園」の代表・田尻徹さんに、南阿蘇のイチゴ生産や研修者に期待することなど話を聞いた。

 田尻さんが営む「南阿蘇ふれあい農園」の広さは、約4500平方メートル。5種類、約3万株のイチゴを栽培している。農園の5代目である田尻さんは、真っすぐな視線で穏やかに語ってくれた。

―今はどのような時期ですか?

 ちょうどこれからです。今週からイチゴ狩りをオープンする予定で現在準備段階です。

―栽培しているイチゴを教えてください

 「ゆうべに」「恋みのり」「ひのしずく」「かおり野」「さがほのか」の5種類です。それぞれに特徴があります。うちで頑張っており、またお客さんに人気があるのは「恋みのり」。「ゆうべに」も多くなっています。「恋みのり」は香りとか食感に品があります。「ひのしずく」もおいしいのですが、あまり量は出ませんね。種類によって実のなりかたも違ってきます。

―南阿蘇のイチゴはなぜ有名になったのでしょう?

 もともとこの地域では、冬の農産物は大きいトマトかミニトマトぐらいしかなかったところ、新たにイチゴが導入されました。それ以前は、イチゴは横島(熊本県玉名市)の方が有名で、実は阿蘇は有名ではありませんでした。阿蘇が有名になったのは観光農園が増えだしてからです。かつては白水村で50軒もあった生産者が徐々に減ってきていて、阿蘇郡全体でもイチゴ生産者は減ってきていますが、観光農園だけはそんなには減っていない状況です。それぞれの農園さんでメディアに出る機会もあって、阿蘇のイチゴはメジャーになってきました。その中でも、特に南阿蘇はイチゴ農家で「南阿蘇観光名水いちご振興会」というネットワークを最初から作っており、20年近くなります。同じイチゴの箱を作って使っています。お客さんがせっかく南阿蘇に来られても、今は8軒しかなくそこに殺到しますので、LINEを使って自分の農園の状況、例えば、「きょうはやっている、やっていない」「もう少し受け入れられる」「もう少したったら売り切れる」といったやりとりをしています。昔だったら電話をしないといけないし、忙しかったら電話に出ることができません。皆がどういう状況か分かりづらかったのですが、今はLINEのやりとりで便利になりました。

―南阿蘇のイチゴの特長は何でしょうか?

 きれいな水で育てているのが一番。あとは寒さ。南阿蘇の寒暖差がおいしいイチゴを作ります。

―お仕事の課題を教えてください。

 農業全体としては後継者不足が挙げられます。作物的には、長期的に苗から作るなど、手間がかかるし重労働です。平均年齢が上がっていくにつれ重労働はきつくなります。今は家族とパートさんとで15人くらいでやっています。その人数でこの広さ(4500平方メートル)をやっています。

―栽培する品種は変わっていくのでしょうか?

 変わっていきますね。昔は「女峰」とか「豊の香」がありました。その後は、「さがほのか」「ひのしずく」が出ました。県内では熊本で誕生した「ゆうべに」がメインになってきています。その時の生産量もあると思います。

―農業研修者を受け入れる側としての期待や思いを聞かせてください。

 「農業は大変大変」とよく言われますが、大変なのはどの職業も変わらないと思います。研修では、せっかくなら作物を育てたり、触れあったりとかの喜びの方を伝えられたらと思っています。(実際に農業をやれるかどうかについては)たぶんみな不安だと思います。他の職業もそうかもしれませんが、農業は自分が事業主体になるということで、自分でいろいろなものを背負っていかなければいけないところがあり、サラリーマンではないという感じがあります。結局はいい体験になると思います。回数を重ね、いろいろな場所や人に会っていい影響を受ければ、きっかけづくりになると思います。

―「南阿蘇名水観光いちご振興会」のネットワークは特徴的です

 他の地域だと、生産者同士が商売をしていることもあり、激しく競うこともありますが、ここでは、南阿蘇としてお客さんを取りこぼさないように紹介し合います。お互いに仲がいいこともありますね。行政とのやり取りもあります。私自身、南阿蘇村農業みらい公社にも関わっており、社員になっています。地域おこし協力隊が入っている南阿蘇村農政課と組織する会の会長もやっており、それぞれでつながりがあります。後継者不足の中でも南阿蘇は研修者や新規就農者は多い方だと思います。受け入れ態勢が整っています。私もその会に入っています。受け入れ協議会とか、別の団体もあります。みんながそれぞれの会に全部入っていることもあって、バラバラではありません。イチゴだけに限りません。他のところだと「イチゴ」だったら「イチゴ」だけのつながりになってしまうかもしれませんが、ここでは全体的につながっています。

―2016年に起こった熊本地震の影響はいかがだったのでしょうか?

 地震だけではありませんでした。北部豪雨(2012年7月発生)や阿蘇山の火山灰などもありました。でも「そんなものか」と思って受け入れています。地震はここでは直接的な大きい被害はありませんでしたが、瓦がだいぶ落ちるなどしました。南阿蘇は観光地なので道の寸断の影響は大きく厳しかったですね。

―将来について考えていること、夢をお聞かせください

 やりたいことはいっぱいあります。まずケーキ屋はできました。熊本地震の前の年に建てたばかりでした。ここにいろいろ作りたいと計画中です。一番上は高校生の子どもがいますが、いずれ子どもたちが大きくなったときに、家族みんなでいろいろできたらいいと思っています。イチゴをベースにレストランとかいろいろなものを。ケーキ屋は、私の妹夫婦が海外でパティシエをやっていたのですが、戻って来てここでやっています。

栽培するイチゴ畑を背にインタビューを受ける南阿蘇ふれあい農園の田尻代表。
栽培するイチゴ畑を背にインタビューを受ける南阿蘇ふれあい農園の田尻代表。
田尻さんが栽培する大きくてみずみずしいイチゴ。
田尻さんが栽培する大きくてみずみずしいイチゴ。
広いビニールハウスの中にたくさんのイチゴの株。
広いビニールハウスの中にたくさんのイチゴの株。
熊本県オリジナルの品種「ゆうべに」も栽培。
熊本県オリジナルの品種「ゆうべに」も栽培。
妹夫婦が営む菓子屋「苺凛香(ばいりんか)」の人気ケーキには農園で栽培されたイチゴを使用。
妹夫婦が営む菓子屋「苺凛香(ばいりんか)」の人気ケーキには農園で栽培されたイチゴを使用。
イチゴ狩りオープンに向けて準備が進む「南阿蘇ふれあい農園」。
イチゴ狩りオープンに向けて準備が進む「南阿蘇ふれあい農園」。

6人の研修参加者に今回の研修に参加した経緯や感想、今後の展望などを聞いた。

竹原秀明さん(30歳男性、栃木県出身)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 東京では自分に適した仕事がなかなか見つかりませんでした。私は食糧需給率や自給自足、食品に含む化学薬品、アニマルウェルフェアなどに関心を持っています。これらの改善に関わるような農業の仕事をしたいと思ってプログラムに参加しました。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 今のところ何とも言えないのですが、南阿蘇は、都会よりも自然が周りにあって気持ちいいです。農業について言えば、いろいろな課題、例えば、「野焼き」を取り巻く問題や意見、その他にもうまくいかないこと、課題が残されているということも学ぶことができました。私はすぐには新規で農業を始めることはできないのですが、いざ始めるというときに本当にできるかどうか悩ましい思いもあります。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 物事には解決策が絶対にあるはずです。どれだけ先になるか分からないのですが、農業に関わりたい気持ちは変わりません。どんなに難しくても、目標と理由があって来ているので、何とか今回の研修を生かせるように頑張りたいです。

蝦名美耶さん(30代女性、東京都出身)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 今までアパレル関係の仕事についていましたが、一区切りして新しい職に就くことを考えています。これまで衣食住の「衣」をやっていたので、次は好きな「食」関係に興味を持っています。農業のことは東京に住んでいるとあまり分かりません。たまたまネットでこの研修を見つけて、行ってみようかなと思いました。農業研修自体も初めてです。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 心境の変化はとてもあります。震災遺構を巡るプログラムでは実際の写真を見たり、民宿で話を聞いたりして、すごかったのだなと。農家さんのお話は、経営の面も学べて勉強になりました。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 ノウハウとかも分からず、漠然と都心と地方をつなげられるような仕事がしたいと思っていました。今回の研修で野菜農家の背景などを知ることができましたし、地域おこし協力隊の皆さんと関わることで、「こうしていけばこれは分かるのだな」ということも。人とのつながりができて、安心して相談できる人ができたことが一番良かったです。南阿蘇村に愛着が湧きましたし、また来たいです。これを機に仕事について考え直します。

桑畑美里さん(30代女性、鹿児島県出身)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 ホテルで働いていて、宿泊者に食事提供などをしており、もともと「食」には興味がありました。私自身が体調を崩してしまい、休んでいる間に、興味があった野菜作りを始めました。無心になれるし、若干救われた気がして、気持ちが楽になりました。もしかしたら自分に向いているのではないかと考えたことが、参加したきっかけです。何かを育てる方に行こうと。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 もっとやりたいと思うようになりました。農業だけでは難しい面があるということも学びました。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 地元の鹿児島県で家族と農業がしたいと思っています。(今回の研修をきっかけに)今後やることにつながることを見つけられたらいいなと。大豆もイチゴも有機栽培も興味があり、どれをやりたいか探しているところです。

30代女性(匿名希望)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 今まで子育てをしてきて、ある程度落ち着いたので自分のことをしたいと。南阿蘇村には数年前から仕事の関係で来ており、滞在もしていました。南阿蘇村はとても景色がいいところで、ここで老後を過ごしたいとその頃から考えていました。地域おこし協力隊の制度も初めて知ったのですが、年齢制限もあったので、4~5年待つより今がいいのではないかと。そしてどこがいいかと考えたとき、やっぱり好きな南阿蘇村がいいと思いました。ここで働くなら自然の中で働きたい。事務仕事しかしたことがなく、農業は未経験なのですが、ここで生業にしていけるものを探したいです。未経験でそれができるのか…という不安もあります。南阿蘇村でイチゴ農家さんの研修があることは知っていて、村役場の方に研修に参加することを話したら、「実際の現場を見た方ほうがいい」と言われました。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 研修に来る前は南阿蘇村の「景色」に魅力を感じていました。研修に来てからは、南阿蘇村の人がいいし、皆さん生き生きとしているし、若い人も多いし、支援制度もきちんとしていることが分かりました。いろいろありますが皆さん仲がいいです。1週間過ごしてみて、農家の方のお話を聞きましたが、「大変だ」と言いながらも皆さん芯を持っていました。「こんな農業がしたい」「こんなふうに牛を育てたい」など、やりたい方向性がきちんと決まっていて、だからそれを生業にしていけるし、楽しいというか生きていけているのだと思いました。身体を動かす仕事はとてもきついし、腰痛もつらいですが、自然の中で働いての腰痛ならいいですね(笑)。仕事探しや住まい、地域の仕事がどのようなものなのか、ネットでは分かりません。その中に住んでいる人の話をいろいろ聞いてもっと知りたいです。長野良市さん(今回の研修のコーディネーターであり、写真家、株式会社阿蘇アースライブラリーの代表で地区の区長も務める)がとても良くしてくださっています。こんなすごい方がいるのかと。地域の関係性がすてきです。研修が楽しく毎日睡眠不足です。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 今はまだそこまでの覚悟ができていないのですが、やっぱり南阿蘇村での農業はいいなと思っています。景色が好きでここに決めましたが、景色の中でもどこが好きなのかなど具体的に考えて、方向性を決めないと。農業に関わる仕事、やりたいことをしっかり固めていないといけません。まずは、応募している地域おこし協力隊に受かればいいなと考えています。結果が分かってすぐ動けるように家探しもしています。受からなくてもここに来るのだろうと思っています。朝起きて景色がきれいで、それで心が洗われて「よし働くぞ」と。一日きつい仕事をするにしてもこの景色の中で働きたいです。地域住民の方と良い関係を築きながら過ごしていきたい。人と人でつながれるような、顔見ないと心配だなというような関係性はいいなと思います。

北村武男さん(39歳男性、兵庫県出身)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 今移住先を探していて、こういったプログラムに参加したり、またプログラムに関係なく出かけたりしています。昔、南阿蘇鉄道で家族と来たことがあって、かすかな記憶はあるのですが、今回このプログラムをきっかけに来ることができて良かったです。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 指導者の方も教えることが好きな方だな、いろいろなこと教えてくれるなという印象を持ちました。震災遺構にも行きました。そこでもいろいろなことを教えていただきました。私自身も宝塚出身で、(阪神淡路大震災を)経験していますし、東日本大震災の時は東京にいて、東北にも復興支援で行ったことがありました。ここでも大きい震災があったのだなと、いろいろな傷跡、町の人たちの話も聞け、改めて実感しました。南阿蘇鉄道も今まさに復旧中で、そういったフェーズで何か力になれたらと思っています。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 私自身「食」に興味があります。おいしい水があって、おいしいものが採れるところという観点で移住先を探しています。ゲストハウスとかキッチンカーを地方でやりたいと思っており、そういうことができるところがあったらなと思っています。今はアドレスホッパーをしながら、バックパックにスパイス詰め込んで、行った先で出会った人たちにスパイスカレーをふるまっています。収入源ではなく、コミュニケーションの一環という感じなのですが(笑)。きょうまで泊まっていたなかむら牧場さんや宿主さんにもスパイスカレーを作りましたし、研修最終日の懇親会でも作ってくれという話になりました(笑)。ゲストハウスは、お客さんに来てもらうだけではなくて、地域のコミュニティーになったらいいなと思っています。場の提供というか。こども食堂とか。こういう話をすると、農家さんも「作り過ぎや、形が悪いとかで出荷できないものの受け皿になってくれたらうれしい」と言ってくれました。阿蘇アースライブラリーの長野さんには、南阿蘇鉄道の使われていない駅舎を使わせてもらえないかと話をしたり、レストランをやっている方からは「店閉めるから、継いでくれる人を探している」と言われたり…。ここに来るまで頭の片隅にあったことや自分がやりたいことが、南阿蘇には全部そろっていて驚いています。

羽入田さん(女性、長野県出身)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 私は長野の田舎の出身で、いずれは帰って農業をやりたいです。今までは親の手伝いとかでも、見よう見まねという感じでした。移住に重きを置いているプログラムでしたので、どうしようかなと思いましたが、イチゴ栽培にも興味があり、いくつか研修の種類があったので、勉強できると考えて参加してみようと思いました。「鳥獣対策」にも興味がありました。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 これまで農業についてきちんと習ったことがありませんでした。今まで成り行きでやっていたことを改めて学ぶことができました。「そうだったんだ」「そういうものだったんだ」と思うことがたくさんあって。いろいろな体験ができて、毎日楽しんでいます。大満足です。イチゴの研修が終わったら、もう全日程が終わっちゃう、寂しいという感じです。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 親がもう高齢で、実家がやっている田畑もある中で、何もやらなかったら荒れてしまうことになりかねないし、実際周りにも増えています。地元に戻ったら、家の農作地だけでは小さいので、もう少し借りるなどして広げて、農業だけでやっていけるようにできたらいいなと思っています。「いつかいつか」との思いが、とうとう「ちゃんとやろうかな」になった感じです。

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