浦島伝説の里で農的「暮らし」と「商い」を学ぶ~香川県三豊市

浦島太郎伝説が今も残る荘内半島紫雲出山山頂からの眺め
浦島太郎伝説が今も残る荘内半島紫雲出山山頂からの眺め
荘内半島の浜辺(西側)丸山島(左)は浦島太郎が亀を助けたところと伝えられる
荘内半島の浜辺(西側)丸山島(左)は浦島太郎が亀を助けたところと伝えられる
父母ケ浜夕景 夕暮れには毎日多くの観光客が訪れる
父母ケ浜夕景 夕暮れには毎日多くの観光客が訪れる

 香川県の西部に位置する三豊市は、高瀬町、山本町、三野町、豊中町、詫間町、仁尾町、財田町の旧7町が合併し、2006(平成18)年に誕生した。県庁所在地の高松市から南西に約45キロの距離にあり、人口は高松市、丸亀市に次いで香川県内で3番目に多い。南東部は讃岐山脈、北西部は荘内半島や粟島、志々島などの諸島、中央部の三豊平野は田園が広がり、ため池も多く、多彩な地勢を有している。

 主な産業は農業で、ブドウ、ミカン、モモなどの果樹や、マーガレット、除虫菊などの花卉(かき)の栽培が盛んである。県内最大の茶の産地でもあり、高瀬茶が有名。

 瀬戸内海に突き出たような形の荘内半島は、浦島太郎伝説で知られる。現在の荘内地区はかつて「浦島」と呼ばれ、浦島伝説にまつわる地名や集落が今も多く存在する。浦島太郎が玉手箱を開けた際に紫の煙が立ち上ったことが名前の由来となった標高352メートルの紫雲出山の山頂から眺める瀬戸内の海は絶景。夕暮れの桜の風景は、ニューヨークタイムズの「2019年行くべき52カ所の旅行先」(52Places to Go in 2019)で、日本で唯一選出された「Setouchi Islands(瀬戸内の島々)」を代表する風景として取り上げられた。

 また、海水浴場の父母ケ浜(ちちぶがはま)は「日本の夕陽百選」にも選ばれた夕陽の名所で、日の入り前の干潮時の海面が鏡のように見えることから、「日本のウユニ塩湖」とも呼ばれている。SNSの投稿がきっかけとなり、近年は年間50万人ほどが訪れる観光名所となった。

 豊富な観光資源と盛んな農業、充実した行政の移住支援制度を背景に、三豊市に移住、就業する人や同市で起業する人が増えている。三豊市は、県外からの移住者への家賃補助、若年層の住宅取得支援、東京圏からの移住者が起業・就業した際の支援金支給など、移住、定住者向けに手厚いサポートを行っている(香川県三豊市移住定住ポータルサイト『みとよ暮らし手帳』より)

 同市で、農業とともにある暮らしとビジネスを学ぶ現地研修を取材した。研修は、22(令和4)年11月11日から13日までの3日間で、参加者(男性5人、女性1人)は、オリーブの収穫、オリーブ農園とゲストハウスの経営、独自コンセプトのレストランの立ち上げと運営、レタスとショウガ、ミカンの収穫などを学んだ。

絶景一棟貸しの宿の見学 急増する宿泊需要に対応

 研修は、荘内半島西側の海岸を利用した一棟貸しの宿「URASHIMA VILLAGE」の見学から始まった。同施設は、父母ケ浜が一躍脚光を浴びて急増する観光客の宿泊需要に対応するため、さまざまな業態の地元企業などが出資し合って設立された。浦島太郎伝説ゆかりの丸山島(浦島太郎が亀を助けたと言われる浜辺がある)をはじめ、瀬戸内海の島々や海が眼前に広がる絶景の地にコンセプトの違う三つの棟が配置されており、浜辺も近い。宿泊だけでなく、ワーケーションや大人数の会食にも利用できる。

 研修生たちは、今回の研修の現地コーディネーターである瀬戸内ワークス株式会社の原田佳南子代表取締役から、同施設の設立の経緯やロケーションの特徴、各棟の設計やコンセプト、利用方法などの説明を受けた。

 原田さんは、2018(平成30)年に東京から三豊市に移住した。讃岐うどんの食文化を世界に発信しようと、うどん作りが体験できる宿泊施設「UDON HOUSE」を開業し国内外から観光客を呼び込むほか、さまざまな事業をプロデュースしている。また、地元経営者のネットワーク作りにも尽力するなど、三豊市の活性化に貢献している。研修生たちは、説明に聞き入り、絶景にも感心しながら施設を見て回った。

原田瀬戸内ワークス代表取締役(左)の説明を受ける研修生たち
原田瀬戸内ワークス代表取締役(左)の説明を受ける研修生たち
宿のすぐ下にある浜辺に降りてロケーションの良さを確認
宿のすぐ下にある浜辺に降りてロケーションの良さを確認

オリーブ農園とゲストハウスの経営 オリーブの収穫

 続いての研修は、荘内半島の西側から反対の東側に場所を移し、「荘内半島オリーブ農園」内の一棟貸しのゲストハウスで座学から始まった。

 同農園とゲストハウスなどを経営する真鍋貴臣さんは、35歳で地元の地銀を退職し、父親が経営するオリーブ農園を引き継いだ。現在はオリーブ栽培や観光農園、ゲストハウス、ガソリンスタンドなどの事業を運営している。

 真鍋さんから、事業の中心となる理念、これまでの事業展開や拡大にあたってのポイント、今後の抱負などについてレクチャーを受けた。

 「オリーブは高価格帯の商品ですが、700本の規模では専業の農業としては厳しい。他のオリーブ園は、だいたい3000本ぐらい。何か付加価値を加えられないかと考えるうちに、オリーブ畑の中で過ごしてもらうのはどうか、と考えてゲストハウス事業を始めました。観光農園としてやってきたことはよかったと思います。見晴らしもいいのでお客さんが投稿したSNSの写真がきっかけでビールのCMにも使われ、来訪者がとても増えました。オーストラリアから来た宿泊者になぜここに来たかを聞いたら、地図と写真を見て決めたと言っていました」(真鍋さん)

説明する真鍋さん(右から2人目)と研修生
説明する真鍋さん(右から2人目)と研修生
真鍋さんと瀬戸内海の眺めが抜群のオリーブ畑
真鍋さんと瀬戸内海の眺めが抜群のオリーブ畑

 座学中に研修生から多数の質問があった。以下は主な質疑応答。

 Q:宿泊業を始めるのは大変でしたか?

 A:三豊市の建築基準はハードルがそんなに高くなく、思ったほど難しくはなかった。

 Q:CM採用はどういう経路で決まりましたか?

 A:広告はまったく打っていない。お客さんのインスタグラムへの投稿が広告会社の目に留まったのでは。

  探す方がすごいと思いました。

 Q:経営で難しいところは?

 A:経営理念と収益構造の二つが(経営者の誰もが)一番苦労しているところ。

  観光の仕事は地元にどれだけ受け入れられるが大事。何かトラブルがあったときは味方になってくれます。

  移住者は地元の人の視点は持っていないので地元の人を大事にすべきだと思います。

 Q:観光を始めた理由は?

 A:人に強みを置く経営は大変なので景観を強みにしたいと思いました。

 Q:広告については?

 A:懐疑的です。より濃い宿泊客にリピートしてもらいたい。今後も有料広告はやるつもりはありません。

 この後、ゲストハウス近くのオリーブの木から実を収穫した。真鍋さんの農園では、オリーブの品種はネバディロ・ブランコが中心で、収穫期には1日平均70キロを収穫。

 研修生たちは真鍋さんの指導の下、脚立を使いながらオリーブの実の収穫に励んだ。実をかじってみると渋さが舌全体に広がり、甘味も少し感じた。

 「ネバディロ・ブランコは実が小さいけどポリノフェールが豊富。果汁から遠心分離機で油を採っています。天敵はオリーブアナアキゾウムシです。香川の夏は暑く雨が少ないので、日本ではやはり最もオリーブの栽培に適した地域のようです」(真鍋さん)

実の摘み取りの手本を見せる真鍋さん(右)
実の摘み取りの手本を見せる真鍋さん(右)
脚立を使い収穫する研修生たち
脚立を使い収穫する研修生たち(上2枚)
脚立を使い収穫する研修生たち(上2枚)
収穫後に全員で記念写真
収穫後に全員で記念写真
研修生が収穫したオリーブの実
研修生が収穫したオリーブの実

薪火グリル付きゲストハウスの経営 父母ケ浜見学

 この日最後の研修は、研修生が宿泊するゲストハウスとカフェを経営する浪越弘行さんから、開業に至った経緯や思い、今後の抱負などを聞いた。

 浪越さんは地元出身で東京の食品会社に就職後、2020(令和2)年4月から父母ケ浜近くで一棟貸しのゲストハウスを開業。夕食は、オーダーメードの薪のグリルで自家製の塩を使ったコース料理を提供している。

 「昔はこのあたりにも駄菓子屋がたくさんありましたが今は数えるほどです。自分の町の記憶が薄れていくのは寂しく、故郷を元気にしたい。料理人としてできることはいろいろあると思い地元で開業しました。テーマは、だんらんです。炎のそばでおいしいものを食べて話して人とつながる。あの人に会いに行きたいという気持ちが大事。(開業して)2年で155人の方に来ていただきました。次の挑戦は、(人と人との)みずみずしい関係性を作る開かれたコモンズ(たまり場)です。作った塩は毎回味が違います。山をきれいにしないといい塩になりません。おいしいものは世界共通です」(浪越さん)

研修生から「コミュニケーションを求める原動力は何ですか?」との質問があり、浪越さんから「その日その日笑顔で仲間と一緒に食べることが一番の幸と感じることと思っています」との回答があった。

浪越さん(右)のレクチャーを受ける研修生
浪越さん(右)のレクチャーを受ける研修生
浪越さんが塩を作っている釜
浪越さんが塩を作っている釜

 この日の研修メニューを終え、近年三豊市の最大の観光資源となった父母ケ浜の見学に向かった。浜の風景を楽しみつつ、瀬戸内ワークスの原田さんからは、短期間で来訪者が年間数千人から50万人に増えた経緯や飲食店の新設ほか周辺への経済的効果などの説明があった。最後に多くの来訪者がSNSに投稿する父母ケ浜を象徴する風景を背景に参加者全員で記念写真を行った。

父母ヶ浜で説明をする原田さん(右から3人目)と研修生
父母ヶ浜で説明をする原田さん(右から3人目)と研修生
ポーズを決めて全員で記念写真 干潮時は潮だまりが鏡のようになる
ポーズを決めて全員で記念写真 干潮時は潮だまりが鏡のようになる

レタスとショウガの収穫 移住の体験談

 2日目の研修は、観音寺市(旧大野原地区)の岡上豊さん所有の農園でレタスとショウガの収穫を学んだ後、岡上さんから移住者としての体験談などを聞いた。

 岡上さんは静岡県から移住して14年。専業農家として、1人でレタス、タマネギ、ショウガ、ニンニク、ワサビを栽培している。レタスは1.5ヘクタールの畑で年間10万玉、ショウガは0.2ヘクタールで年間10トンを生産。

 研修生は、レタス280玉を収穫したのち、隣の畑で地中のショウガを掘り出して茎をハサミで切り、7ケース分の量を収穫した。

 岡上さんは「レタスは丸くないといけません。現在16品種を栽培していますが、品種や肥料のやり方で随分変わります。いろいろ試せるのは農業の面白みですね。高知はショウガの栽培が盛んで、うちのショウガも高知の会社に出荷しています。(旧大野原地区は)レタスの生産がとても有名で以前はかなり高値で取引されましたが、今は価格が落ちて利益を上げるのが大変です」と農業の面白みと難しさを語った。

 研修生からの「生産する野菜はどう決めましたか?」との質問には、「香川に移住したときは、最初農業法人に就職しました。レタスは、この地区の看板なので決めました。ショウガとニンニクは自分が好きだから。利益率はニンニクがいい。今年はショウガが安くて大変です」との回答があった。

ショウガを掘り出してそろえて並べ、ハサミで茎を切っていく
ショウガを掘り出してそろえて並べ、ハサミで茎を切っていく
研修生が収穫したショウガ
研修生が収穫したショウガ
農作業の後に移住の体験談を聞く
農作業の後に移住の体験談を聞く
岡上さん 岡上さん所有のレタス畑で
岡上さん 岡上さん所有のレタス畑で

ミカンの収穫と移住体験

 この日最後の研修は、ミカンとアスパラガスを中心に農業に取り組む上田崇さん所有のミカン畑で収穫の研修を行った後、上田さんご夫婦から移住者としての体験談を聞いた。

 上田さんご夫婦は大阪より移住し、ミカンは40アール、アスパラガスは30アールの畑で栽培している。研修生たちは三豊市の観音寺市近くの海岸線から、分乗した複数の車で急坂を上り、瀬戸内海を見下ろす斜面にあるミカン畑で宮川早生という品種の温州ミカンを収穫した。

 上田さんから「ミカンの軸は2度切りでお願いします。ミカンの軸が残っていると他のミカンと一緒に入れた時に傷が付いてしまう上、軸が残っているミカンが混じっていると、選果の時に全部のミカンをチェックしないといけなくなるので大変です。とはいえ、ヘタまで切ってしまうと売り物にならないので気を付けてください。ミカンを地面に落としたら売り物にならないので拾わないでください。収穫用の籠にたまったら大事に運搬用の黄色のケースに入れてください」などの説明があった。研修生たちは斜面に立っている足元を注意しながら、上田さんの指導通り収穫に励んだ。

 研修生からの「急斜面でミカンを栽培する効果は?」「木に長期間実をつけておくとどうなりますか?」との質問に対して、上田さんは「水はけがよくなり、海からの潮風に吹かれておいしくなります」「甘くなりますが、皮が身から浮いてきて商品にならなくなる」と答えていた。

 獣害については、サル、シカは近辺にはいないが、イノシシが山の上から降りてきてミカンを食べていくという。

瀬戸内海を見下ろす上田さんのミカン畑で収穫する研修生たち
瀬戸内海を見下ろす上田さんのミカン畑で収穫する研修生たち
瀬戸内海を見下ろす上田さんのミカン畑で収穫する研修生たち(上3枚)
瀬戸内海を見下ろす上田さんのミカン畑で収穫する研修生たち(上3枚)
みんなで収穫したミカン
みんなで収穫したミカン

2拠点での生活を考えたい

 3人の参加者に今回の研修に参加した経緯や今後の展望などを聞いた。

渡辺裕子さん(神奈川県在住)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 横浜市で生まれましたが、人が多いのがいやで(南西方面へ少し離れた)二宮町に引っ越しました。島が好きです。俳優の小栗旬さんが出ていたビールのコマーシャルの風景がよかったので調べたら三豊市だったことがきっかけです。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 香川は島が多く、やはり素晴らしい風景です。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 夫と一緒に学習塾と古着屋をやっており、母の実家が空き家なのでそこをゲストハウスにしたらどうかと考えています。コロナ禍でもあり、自分で食べる農業を考えています。

吉井洸太さん(東京都出身)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 東京の旅行会社で15年働いています。子どもは2人いますが、このままずっと東京で過ごしていくことに疑問を持ちました。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 三豊市は聞いたことがなかったのですが、ここの研修に決めてよかったです。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 2拠点での生活を考えたいです。農業は自分で食べる分を作ればよいと思っています。

小田村慈英さん(千葉県出身)

―プログラム参加のきっかけを教えてください。

 生活用品メーカーに勤務しており、日々、どう人々の暮らしに貢献できるか考えています。今の暮らしだけでなく、自分が知らない暮らしも知りたいと思い参加しました。

―実際に現地で参加してみていかがでしょうか?

 都会よりも自由に、自分らしく生活している人が多い印象を受けました。

―これからやっていきたいこと、展開していきたい方向性は?

 自分自身の暮らしを見詰め直すきっかけになりました。必ずしも一つの拠点で過ごす必要はなく、理想の暮らし方に合わせて、複数の地域に関わりを持ちながら生活することも検討したいと思います。

研修生と岡上さん(前列中央)  岡上さんのショウガ畑で
研修生と岡上さん(前列中央)  岡上さんのショウガ畑で


農ライファーズ株式会社


研修事業者紹介ページはこちら


公式サイトはこちら