岩手県釜石市は、県南東部に位置し、人口は約3万人。リアス式海岸の絶景と世界でも有数の漁場である三陸沖の豊富な水産資源に恵まれた港町である。 市の北西部にある日本近代の製鉄産業を支えてきた「橋野鉄鉱山」の遺跡は、2015(平成27)年に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産としてユネスコの世界遺産に登録され、第2次世界大戦後も製鉄の町として発展してきた。 市内に拠点を置くラグビーチーム・釜石シーウエイブスRFCの前身は、日本選手権で1978(昭和53)年度から7連覇を達成した「新日鉄釜石ラグビー部」。「北の鉄人」と呼ばれ、伝説として語り継がれる釜石のラグビー人気は今も高い。2019(令和元)年開催のラグビーワールドカップ日本大会では、東日本大震災の被災地域跡地に建設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが東北唯一の試合会場として、フィジー対ウルグアイ戦が行われている。「鉄と魚とラグビーのまち」である釜石市で、第1次産業などを学ぶ研修プログラムの林業体験を取材した。8月18日に行われた研修では、企業からの参加者(男性1
人、女性1人)は山林の中での座学やスギの間伐などの実習を通じて、日本の山林の現状を知り、樹木の伐倒の技術を学んだ。
■林業体験
森と人の暮らしを結ぶ
「もりむすび」石塚勇太さんに学ぶ 釜石市は三陸海岸沿いの海のイメージが強いが、森林が市域の9割を占める森の町でもある。今回の林業研修の指導役である埼玉県出身の石塚勇太さん(32歳)は、自然に関心があり、「おいしい空気を吸いながら仕事をしたい」と森に関わる仕事を求め6年前に岩手県に移住。釜石市を拠点に県内各地で森づくりの計画立案に関わる森林資源調査や土地の境界調査などのほか、森遊びや大工仕事を通じて、森と人の暮らしを結ぶ活動を行っている。森林インストラクター、認定森林施業プランナー、岩手県環境アドバイザーの肩書も持ち、森林全般に関わる仕事をしている。 石塚さんは、「釜石の人はホームセンターに行かず、(必要な物は)自分で作ります。木材価格の下落で放置された山が増えていますが、かつての里山には山菜、木の実、木材の自給など持続可能な資源の循環がありました。単なる木材生産業という視点では林業は行き詰まります。虫の目で森を見詰める必要性があります。山は適切な対策をすれば危険なところではなく、山仕事はなたとのこぎりがあれば誰でも大抵のことができます。今回の研修では、山が持つ本来のポテンシャルを知ってほしいですね」と森林が持つ資源と魅力について熱く語った。
森林を知り、伐倒を実習
林業研修は、石塚さんが業務委託契約で2人の山主から管理を任されている3ヘクタールの山で行われた。釜石市の中心部から北西の遠野方面に車で約20分の距離にある。 まず座学で、石塚さんから林業の現況と石塚さんの活動内容などを伺った。 国産木材の価格は、木材の輸入自由化や建築方式の変化、燃料革命などにより、1980年代前半をピークに著しく下落。「現在、50年かけて育てたスギの木の1本当たりの売り上げは5000円にも届かず、木材販売のビジネスモデルは成り立ちません」(石塚さん)と林業は厳しい状況にあり、生産性の向上が最重要課題となっている。 石塚さんはこうした状況を打開しようと、“里山復活”をキーワードに「森林空間活用」「森林整備」「木材活用」「森林資源活用」の四つのテーマで事業を展開している。具体的には、①森を快適に保つ活動(みんなで関わるけがをしない森づくり)②研修の受け入れ(間伐、歩道づくり、まき割り、木工品づくり)③木工品の販売(イベントへの出店、結婚式の内祝いなどオーダーメードで作成)や、まきの販売(キャンプ場への提供やふるさと納税の返礼品ほか)④森を知り森で遊ぶ(森林学習会、自然観察会など)⑤森を食べる(春のクロモジ茶づくり、春から秋のキノコ採り、冬のメープルシロップづくり)など。 最後に石塚さんは「山仕事が持続的に生業となるモデルケースをここで作り、他の地域へ普及したい。また、昔の日本にあった里山と森のある暮らしを取り戻したい」と今後の展望を語った。
座学の後は、クロモジやスギ、南部アカマツ、シイタケやナメタケを栽培するミズナラとコナラの原木の実物などを例に樹木の植生のレクチャーを受けた。 「スギは水分を多く含んでおり、本体の約3倍の水分があります。和菓子のようじなどに使われるクロモジの木は、葉がとてもいい香りを出すのでお茶にしています。アカマツは建材に向いていて住宅の梁(はり)に使われます。クロマツはアカマツより生命力が弱いのですが、潮に強いので海辺で繁殖しています。ヒノキは生息の北限は福島県で、岩手県にはありません。カエデからメープルシロップを採集していますが、1シーズンに採れるのは時期的に1カ月だけで80リットルの樹液を採っても商品になるのは60分の1程度です。木と対話しながら恵みを頂いています。主は森ですね」(石塚さん)。研修生の「林業は森林にある木々を採ってくるという印象がありました」との感想には「採ってくるだけでは林業とは言えません。農業と同じで切ったら植えることが必要です」と石塚さん。
樹木の植生のレクチャーを受けた後は、スギの間伐の実習に入った。間伐は、森林の成長過程で密集化する木を間引く作業で、森の中に光が当たり、他の木などの成長を促進する重要な作業だ。「どれを切るかの見極めが大事」(石塚さん)で、太陽光を遮り成長が遅い木が対象となる。研修生は、1人ずつ石塚さんの丁寧な指導の下、間伐の作業を行った。
「今回の伐倒(木を切り倒すこと)は、チェーンソーではなくのこぎりでやってもらいます。チェーンソーは電動で動くのこぎりです。のこぎりの使い方が分からないのにチェーンソーを使っても意味がありません」(石塚さん)
今回伐倒するのは樹齢約40年のスギの木。手順は、最初に倒す方向を決め、倒す側に「受け口」と呼ぶ三角形の切り口を作る。次に「受け口」の正反対の側に「追い口」と呼ぶ切れ目を作る。「追い口」は「受け口」より上の位置に水平に切り込みを入れるが、切り過ぎると木が勝手に傾いてしまって倒す方向の「受け口」側に倒れないことがあり、注意が必要。倒すときには「追い口」にくさびを打ち込み、伐倒を促進する。
研修生は石塚さんの指導を受けながら、のこぎりで「受け口」と「追い口」を作り、それぞれ1本のスギを順調に伐倒した。「のこぎりを水平に切るのは難しいですね」(研修生)「のこぎりの使い方は、押す時は軽く、引くときに力を入れる。また、自分で思うより下方に切るようにすると水平に切れますよ」(石塚さん)。
石塚さんはスギを伐倒する前後に笛を吹き、安全の注意喚起をした。最後に、切り倒したスギの年輪から樹齢やトラブルなどの痕跡を石塚さんに解説してもらい伐倒の実習を終えた。
■株式会社「かまいしDMC」の活動
DMOとはー
観光地域づくり法人のことで、英語の「Destination Management/Marketing Organization」の略称。旅行者の目的地の地域が一体となって当地の観光を宣伝、マネジメントする目的で結成された組織のことを指す。 観光地域づくり法人は、「地域の『稼ぐ力』を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する『観光地経営』の視点に立った観光地域づくりのかじ取り役として、多様な関係者と協働しながら、明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに、戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人」(観光庁ホームページ)。2023(令和5)年9月4日時点で、「広域連携DMO」10件、「地域連携DMO」106件、「地域DMO」154件の計270件が登録されている。
株式会社「かまいしDMC」
今回の研修の地域コーディネーターである「かまいしDMC」は、観光地域づくり法人(DMO)として2018(平成30)年に設立。20(令和2)年度より継続して観光庁に「重点支援DMO」に選定され、21(令和3)年には「観光庁長官表彰」を受けるなど活動内容が高く評価されている。 同社は、釜石市の持つ観光資源と地域産品の魅力を最大限に引き出し、地域経済を活性化させ当地に住む誇りを醸成することがミッションで、市が観光振興ビジョンとして掲げている「オープン・フィールド・ミュージアム釜石」の構想を実現することが最大の役割。市全体を「屋根のない博物館」に見立てる観光コンセプトの下、同社は「博物館に展示する宝」として地域の日常生活や仕事を紹介する体験型のプログラムを開発してきた。 また、より魅力的な観光地域づくりの手段として、世界持続可能観光協議会 (GSTC) の基準を取り入れ、サステナブル・ツーリズム(持続可能な観光地づくり)を推進。18(平成30)年に国際的なサステナブル・ツーリズム認証団体「グリーン・ディスティネーションズ」の「持続可能な観光地100選」に日本で初めて選ばれて以来、22年(令和4)まで5年連続で選出されるなど、DMOとして国内の先進的位置を獲得している。
河東英宜代表取締役に聞く
株式会社かまいしDMCのリーダーとして、「オープン・フィールド・ミュージアム釜石」の実現を目指す河東英宜代表取締役に経営方針や今後の展望などを伺った。
〈質問1〉会社設立後3年後に市からの補助金を返却しています。なぜ早期に自走できるようになったのか教えてください。
―自分たちは零細企業だという意識を持ち、起業すれば普通にやるべきことをやってきただけです。当初から3年で返済する計画でした。新商品の開発もこれまで地元になかったものを作ろうと思ってやってきました。収益化が最も大事です。開発したジェラートの販売も、需要は昼食の後2時間が勝負と判断。販売を1日午後2時間に限定し、販売も事務員が行うなど効率を優先した結果、1年間で投資を回収することができました。
〈質問2〉釜石市のバックアップをはじめ、地元のさまざまな業態と連携しています。
信頼を得られたのはどういった理由があると思いますか?
―市とは頻繁に相談し認識をすり合わせてきました。いろいろな部署と相談を繰り返していくうちに認識の相違や部署間の垣根もなくなってきたと思います。
〈質問3〉今回の企業研修で参加した人に学んでほしいところはどこでしょうか?
―東日本大震災で「釜石の奇跡」と言われたことがありましたが、奇跡ではなく学校の防災教育を震災前から積み重ねてきた結果です。震災後も釜石にはいろいろなプログラムがあり、ここにしか無い組織づくりに役に立つプログラムを学んでほしい。企業では越境研修が叫ばれていますが、所属している会社のバックグラウンドが無くなったらどう動くのか。そこを学んでほしい。研修メニューはオーダーメードで、企業からの求めに応じて内容を調整しています。評判がよく、組織づくりに役に立つとリピーターが増えています。
〈質問4〉サステナブル・ツーリズム認証団体「グリーン・ディスティネーションズ」の国際認証の取得を目指していますが、これについてはいかがでしょうか?
国際認証の取得にはやるべきことが100項目とはっきりしているので社員はやることが明瞭で社の理念とも合致し、モチベーションにもつながります。認証の取得には一歩一歩点数を上げていかないといけないので、上がると達成感があります。
〈質問5〉今後の抱負や展望を教えてください。
企業研修は釜石と企業双方がよくマッチしており、今後も積極的に続けていきたい。100人などの大規模の研修には向きませんが、20人ぐらいの規模がちょうどいいです。企業研修ですと20人程度の団体になるので、満足度を維持する意味でもちょうどいいサイズです。外国人の一般的なインバウンドには向いていませんが、外国人向けのプログラムとしては、ラグビー研修、防災研修、みちのく潮風トレイルの三つがあり、みちのく潮風トレイルが人気です。防災研修は、メソッドとしてインドネシアに輸出をしています。
■研修生に聞く
釜石市の課題や魅力を伝えていきたい
高田 一希さん(26歳) 東京都在住
- 研修に参加するきっかけを教えてください。
―商品開発やECサイトの立ち上げなど、中小企業のマーケティングを支援する会社に勤務しています。釜石市の出向者からこの研修を紹介され、市の理解を深めようと研修に参加しました。
- 研修に参加してどういう感想を持ちましたか?
―1次産業の体験は小・中学校以来で面白く、体験だけでなくいろいろと話を聞けたことがよかった。1次産業がないと人は生きていけません。植物の観点で山のことを知って課題意識が芽生え、実際に体験できました。こういうプログラムを知ることができてよかったです。
- 今後の抱負や展開を教えてください。
―釜石市を公私に味わえてよかった。釜石市の課題や魅力を知れば市に興味を持つ人が出てくる。それを伝えていければと思います。
武久 史佳さん(29歳) 東京都在住
- 研修に参加するきっかけを教えてください。
(上記高田さんと同じ)
- 研修に参加してどういう感想を持ちましたか?
―林業はしんどいと聞いていましたがそうではなく、今までの林業とは違うところを目指していることを知ることができてよかった。現状を変えようとする方向性は自分の今の仕事と同じだと思いました。
- 今後の抱負や展開を教えてください。
―林業についての印象が変わりました。1次産業のマイナスイメージを変えることで若者が参入してくれば釜石だけでなく自分の故郷(愛媛県愛南町)にもメリットを提供できる。リアルなイメージを伝える際に1次産業に若者や人が増えるような伝え方をしたいと思います。