筑後平野の山里で1次産業を学ぶ―福岡県みやま市

最澄が開いた清水寺の本坊庭園は国指定名勝 雪舟の作と伝えられる
最澄が開いた清水寺の本坊庭園は国指定名勝 雪舟の作と伝えられる
清水寺のシンボル 三重の塔
清水寺のシンボル 三重の塔
清水山第二展望所からみやま市の市街地を望む
清水山第二展望所からみやま市の市街地を望む

 福岡県みやま市は県南部の位置にあり、一部は熊本県と接している。人口は約35000人(2023〈令和5〉年10月末)。2007(平成19)年に山門郡瀬高町、山川町と三池郡高田町が合併し誕生した。市域のほとんどが築後平野の平地で、南部は有明海に面している。市内の清水山(標高約330メートル)からは、九州新幹線が走る広大な築後平野や有明海、雲仙普賢岳が望める。 産業の中心は農業と漁業で、山川町の山地で栽培されるミカンは「山川みかん」のブランドで全国的に有名。瀬高町はセロリや高菜の産地として知られ、有明海に面した高田町ではノリの養殖が盛んである。 みやま市が出資する「みやまスマートエネルギー株式会社」は、日本初の家庭用電力の小売りを目的とした地域エネルギー会社。エネルギーの地産地消を目指し、15(平成27)年に設立された。21(令和3)年には、農林水産省の「ディスカバー農村漁村(むら)の宝」(第8回選定)に選ばれている。 市内の名所としては、清水山の中腹に最澄(伝教大師)が開いた清水寺が著名。天台宗の古刹(こさつ)で、大坊庭園は室町時代に禅僧の雪舟が造ったといわれ、国指定名勝に選定されている。 山川町のミカン畑や農園で、農業分野の地域おこし協力隊への入り口づくりを目的とした第1次産業を学ぶ現地研修を取材した。研修は23(令和5)年10月26日から11月8日までの14日間で、1人(女性)が参加し、山川みかんの収穫やトラクターなどを使った農園の整地、ミカン販売の実習を行い、地元の人々や移住者のミカン農家らと交流した。

農作業体験

大黒園のミカン

 研修の受け入れ先である「大黒園」合同会社は、農地所有適格法人として体験農園や農産物の生産を行っている。代表の堤宏子(あつこ)さんは、プリント加工や刺しゅうの事業に加え、8年前から兄の山下拓哉さんが生産する山川みかんの販売を始めた。堤さんは、栽培したミカンを使ったジュースやジェラート、お茶、あめ、こしょうなどの加工品も開発し、これらの事業を運営する合同会社「コクヨウ」の代表としても活躍している。山下さんのミカン畑は、山下さんの父が農園を開園した際の屋号「大黒園」を受け継いでいる。 大黒園のミカンは房の皮が薄くコクがありおいしいと評判で、販売店舗には例年9月から12月までの販売期間中、毎日遠路からも多数の来訪者がある。福岡の五つ星ホテルから客室のウエルカムフルーツ用として定期的に注文が入るなど事業展開は順調で、北米ニューヨークへの輸出も予定されている。 堤さんは、「リンゴは(ふじなど)品種で呼ばれますが、なぜかミカンは、(どの品種でも)“ミカン”とひとくくりで呼ばれることが多いです。同じ品種でも作り手によって味が違うし、大黒園では『極早生(ごくわせ)』『コクみかん』『早生(わせ)』と種類別にこだわっています」とミカン生産の思いに触れ、「最近は栄養や美容の観点からか、果皮が欲しいというお客さんが増えましたね。ジェラートは果皮を使っており、歯触りや酸味が好評です」と消費者の傾向についても教えてくれた。研修生は、山下さんのミカン畑で収穫作業を体験し、販売店舗で接客の実習を行った。

店舗で販売されている大黒園のミカンと加工品 デザインは堤さんが作成
店舗で販売されている大黒園のミカンと加工品 デザインは堤さんが作成

ミカンの収穫

 取材当日は天候に恵まれ、爽やかな秋晴れの下、研修生は山下さん所有の広大なミカン畑で収穫作業に取り組んだ。例年9月下旬から12月下旬にかけて収穫する。 山下さんは祖父の代からのミカン畑を受け継ぎ、現在は約9ヘクタールの農園で約7000本の木から年間250トンのミカンを生産。1人の生産者でこれだけの量を出荷するのはかなりまれだという。山下さんは、「目的に合った肥料のやり方や除草剤の抑制などを模索し、糖度だけにこだわらず、苦味や酸味もあるおいしいミカンを追求していきたい」とミカン栽培への熱い思いを語る。

収穫に向かう研修生(奥)と山下さんの広大なミカン畑
収穫に向かう研修生(奥)と山下さんの広大なミカン畑

 ミカンは収穫時に専用のハサミでヘタを切るが、箱に集めた際に他のミカンに傷が付かないようにできるだけヘタを短く切らなければいけない。研修生は、収穫スタッフからヘタの切り方の手本を見せてもらった後、黙々と作業に励んだ。山下さんのミカン畑からは築後平野が見渡せ、有明海もよく見える。「作業をしながら眺めを楽しんでいます。作業用の服の色は、ミカンの収穫に合わせて黄色にしました」(研修生)。

スタッフからヘタの切り方の手本を見せてもらう
スタッフからヘタの切り方の手本を見せてもらう
ヘタを切り黙々とミカンを収穫する
ヘタを切り黙々とミカンを収穫する
山下さんのミカン畑からの眺め 筑後平野を見渡せる
山下さんのミカン畑からの眺め 筑後平野を見渡せる
収穫された「コクみかん」 房の皮が薄く味が濃い
収穫された「コクみかん」 房の皮が薄く味が濃い

接客の実習 地元との交流

 収穫作業の後は販売店舗に移動し、堤さんの母である山下愛子さんから指導を受けながら接客の実習を行った。山下さんは8年前の販売開始当初から接客を担当している。「お客さんと毎日やりとりするのが楽しい。(接客は)自分の方から発信してコミュケーションを取ることが大事ですね」と販売の楽しさと極意を教えてくれた。取材中にも福岡からタクシーでミカンを買いに来た得意客らがひっきりなしに訪れ、山下さんは楽しそうに懇談しながら接客をこなしていた。 研修終了後は、みやま市の中心地の飲食店で会食を兼ね、みやま市役所の研修関係者や市外から移住したミカン農家らと情報交換や懇談を通して交流を深めた。

店舗で販売されている山川みかん
店舗で販売されている山川みかん

トラクターと管理機による整地作業

 ミカン収穫の翌日は、販売店舗の近くにある大黒園合同会社所有の農園で、トラクターや管理機(農地を耕す歩行型の農機。耕運機能ほかさまざまな用途に対応)の操作方法を習得しながら 整地作業の実習を体験した。堤さんは3アールの敷地内に、サツマイモやオクラ、ニンジン、大根、落花生、シソ、ズッキーニなど10種類を超える農作物を栽培している。収穫が済んだ農地は耕し、肥料を与えるなどの整地をして、次の栽培に向けた準備を行う。 研修生は、堤さんからトラクターと管理機の操作方法を学んだ後、運転席に乗り込み整地作業に入った。トラクターの操作は数日前に堤さんの指導で実習したが、研修生は2回目とは思えない落ち着いた様子で農園を整地しながら往復していた。管理機は初めての操作だったが、早々に慣れて畝作りに励んだ。「管理機はなかなか真っすぐ進みませんね」と感想を漏らす研修生に対し、堤さんは「真剣に学んでいるので覚えるのが早いです」と学ぶ姿勢を褒めていた。作業終了後には、堤さんから畑で採れたばかりのサツマイモやニンジン、ズッキーニが研修生へプレゼントされた。※畝(うね)=作物を作るために土を直線状に盛り上げたもの

2回目とは思えない落ち着いた様子のトラクターの運転
2回目とは思えない落ち着いた様子のトラクターの運転
堤さん(右)から管理機の操作を学ぶ
堤さん(右)から管理機の操作を学ぶ
大根栽培の畝を作る 管理機は真っすぐに進ませるのが難しい
大根栽培の畝を作る 管理機は真っすぐに進ませるのが難しい
農園で咲くオクラの花
農園で咲くオクラの花

農園でいろいろな選択肢を提供したい

 堤さんは、この農園を多くの人が農作業の体験ができる畑にしようと準備している。
「今の若いお母さんはたぶんオクラの花を見たことがないでしょう。いろいろな作物を作っているところを子どもたちやその親の世代にも見てもらいたい。人が歩きやすいように畝と畝の間は通常より広めに50センチにしてあります。『農業を始めたいけどのような作物を作ればいいのか分からない』という人たちをはじめ、ここに来てくれるたくさんの人たちにいろいろな選択肢を提供したい。その時には研修生の方にも手伝ってもらえたら」(堤さん)と今後の展望を熱く語った。

野菜の栽培についてレクチャーする堤さん(左)
野菜の栽培についてレクチャーする堤さん(左)

みやま市に移住したい

竹森 祐子 さん(51歳) 仙台市在住

  • 研修に参加した経緯を教えてください。

―東日本大震災を体験して、息子が口にする食べ物のことを考えるようになり、遠方から野菜を取り寄せるなど、農業に対する関心が強くなりました。農業体験もしています。たまたまインターネットで見たキウイ大福がとても印象に残り、どうしても食べたくて、今回の研修事業者である「九州のムラ」が一昨年に(みやま市の隣の)八女市で主催したキウイ農家の研修に参加しました。その体験がとても楽しかったので今回の研修にも参加しました。

  • 研修に参加した印象は?

―きょうはちょうど全体の行程の半分(6日目)です。まだ短期間ですが、ミカンの作り方や販売の方法など、個々の生産者の方はそれぞれのやり方や方針があり、農家さんという単純なくくりはできないと感じました。これまで私は末端の消費者でしかなかったのですが、今は生産者の立場になっており、食べ物がよりおいしく感じるようになりました。

  • 今後の抱負を教えてください。

―現在駅ビルの設備管理の仕事をしていますが、今年いっぱいで退職の予定です。みやま市か、八女市の研修地だった立花町に移住し、半農半Xで農業をしながら仕事をしたいと思っています。震災で体験して海の怖さを知ったので、その怖さのイメージが少ないこちらで農業をしたいと思いました。八女市の研修で一緒だった仲間が立花町に移住しており、これも大きな刺激になりました。

ミカンの収穫を終えて
ミカンの収穫を終えて

(了)