島根県隠岐の島町が全域を占める島後は、島根半島の北東約80キロの海上に位置し、人口約1万3500人の隠岐諸島最大の島である。現在の隠岐の島町は、2004(平成16)年に西郷町、布施村、五箇村、都万村(以上当時)が合併し、誕生した。
隠岐諸島は、ユーラシア大陸の一部や湖底、海底、島根半島の一部などを経て約1万年前に現在の離島になった。北方と南方の植物が共存するなど独自の生態系が生まれ、13(平成25)年にはユネスコの世界ジオパークに認定されている。
歴史的には古くより隠岐諸島は配流地とされ、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流されている。江戸時代には北前船の風待ち港として栄え、日本各地の文化が流入。多様な文化が形成されるに至った。地域の伝統行事としては、日本最古の闘牛と言われる「牛突き」がある。隠岐へ島流しされた後鳥羽上皇を慰めるために始まったとされ、文化財として保存されている。また、「古典相撲」と呼ばれる夜を徹しての相撲大会があり、神社の屋根のふき替えなどの重要な行事の際に行われ、勝者には栄誉の品として土俵の柱が贈られる。
地勢は、町の面積の8割が森林。産業は、農業、林業、畜産、漁業が盛んだ。島根県沖は全国でも有数の好漁場で、隠岐の島周辺は全国屈指の漁業生産量を誇る。
海と山、田園に囲まれた隠岐の島町の五箇地区で、サウナ付き宿泊施設のマーケティング支援の現地研修を取材した。研修は23(令和5)年3月10日から12日までの3日間で、プロボノワーカー(職業上の知識やスキルを生かしてボランティア活動をする人)の男性2人が参加し、農作業体験や施設見学などを通して地域の理解を深め、地域の人と共にサウナ新設による来客数の増加策や地域の観光づくりを支援した。
サウナ付き宿泊施設のマーケティング支援
島根県隠岐の島町で古民家を改装したゲストハウス「KUSUBURUHOUSE」を営んでいる岩井明人さんは、観光客を対象とした体験交流ツアーや地元の人たちも楽しめる宿泊イベントを定期的に開催している。今の宿泊施設にプラスアルファで提供できるサービスとして「サウナ」の新設を企画し、現在建設の準備に取り掛かっている。
岩井さんは神奈川県出身で8年前に隠岐の島町に移住した。
「地元の人や島の外から来る人がよりどころとなる場を提供したいとサウナを作ろうと思いました。島に住む人にとっては『新たな娯楽』として、観光客にとっては『交流の場』として使ってほしいと思います。サウナを切り口にいろいろな事業者の人と話し合い、公益性を大事にして島を盛り上げていきたい。研修生の方にはコンセプト設定やターゲット調査、プラン策定で支援をお願いしたいです」(岩井さん)
隠岐の島の成り立ちを学び、研修拠点でミーティング
隠岐空港で集合した研修生は、まず「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」を紹介する隠岐自然館へ向かった。昨年リニューアルされたという同館は、隠岐の島の海の玄関口の西郷港の岸壁沿いに位置する。
入館すると係員から、「最初に島の成り立ちを理解していただくと実際の景色や体験が全く違うものになります。日本にはユネスコ認定のジオパークが九つあり、隠岐はその一つです。隠岐諸島は溶岩で作られ、半島と離島を繰り返しました。ここで産出された黒曜石は、3万年前から全国各地に運ばれています。北前船の寄港地でもあり、海流を通じて全国とつながっていました。小学校の数と同じといわれるほど神社が多く、島根県で唯一の水産高校があります。島を出て行った人には自分が生まれた地域のことを知ってもらいたい」などの説明があった。
隠岐の島誕生とその後の歴史や生態系などを学んだ研修生は、次に車で30分ほど移動し、研修の拠点となる五箇地区のゲストハウス「KUSUBURUHOUSE」に到着。同施設オーナーの岩井明人さんと、今回の地域コーディネーターである隠岐の島町地域振興課の土橋豊さん、舟木睦さんから研修テーマの説明を受け、3日間のスケジュールなどを確認した。
稲田のあぜ道の草刈りと牛の世話を体験
五箇地区は、隠岐の島の北西の位置にあり、古典相撲と「牛突き」が島後の中でも最も盛んな地域で、島内でも有数の田園地帯が広がるエリア。最初の研修である農作業体験では、高宮昭司さんが自身所有の稲田を使い、研修生にあぜ道での草刈り作業を指導。研修生2人は草刈り機の使用は初めてだったが、高宮さんと「KUSUBURUHOUSE」の岩井さんの手助けを受けながら作業を一時間ほど続けると、徐々に習熟していった。五箇地区で先祖代々農家を営む高宮さんは、18町(約18ヘクタール)の土地でコメ(コシヒカリ)を栽培している。
「あぜ道の平らなところと斜面では力の入れ方を変えないといけませんね。斜面は草刈り機が勝手に動くので取っ手に手を添える感じがいいようです」(研修生)
高宮さんは、農業の傍ら趣味として隠岐の島伝統行事の闘牛「牛突き」に出場する牛を2頭飼育しており、草刈り研修の後に近くの牛舎で見学させてもらった。
高宮さんが飼っている牛は700キロを超える重量で、かなりの迫力がある。子牛のときに目と骨を見て闘牛に向く牛かどうか選ぶという。高宮さんから牛の飼育の苦労や闘牛としての教育方法を聞き、牛のブラッシングや散歩を体験した。
高宮さんは、「品種は島根和牛。牛は小さいときから角を飼い主が好きな形に曲げていき、突く訓練をする。大会には地域で現在50頭ほどの牛が参加するが、大関になると30分以上突き続ける。1000年の歴史があり、金がかかるがしょうがない」と笑う。
釣り体験と地元温泉施設の見学
続いて五箇地区の重栖港に場所を移し、地域体験の一環とし「KUSUBURUHOUSE」のアクティビティーメニューの一つである釣りを体験した。釣れた魚は、当日の夕食と翌日の朝食に提供される。この日の仕掛けはサビキで、岩井さんが丁寧に釣り方を説明。研修生は黙々と釣りに没頭し、研修生と関係者は、約1時間でアジ、カサゴなど計40匹の釣果を上げた。研修生の1人は、釣りは初めてだったが、8匹のアジを釣った。
五箇地区には隠岐の島町営の温泉施設である「隠岐温泉GOKA」がある。釣り体験の後に入浴し、施設や運営の様子を見学した。同温泉の泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で、保湿効果、血行促進、肌の蘇生効果がある。温泉従業員によると、「若い人からサウナの要望があり、泉質は冷めにくいので、つえを使って来た人が入浴後、つえがいらなくなったことがあった」という。
Iターン者との意見交換会
研修初日の最後のプログラムは、「KUSUBURUHOUSE」の夕食後、Iターンで隠岐の島に移住しカニ漁や養鶏などの仕事に従事している地域住民と、サウナ新設の可能性と展開について意見交換を行った。隠岐の島町はUIターンの支援制度が手厚く、ふるさと定住奨励金の交付や家賃補助のUIターン促進事業補助金、移住時に最大100万円を支援するわくわく島根生活支援事業のほか、各種起業支援制度などがある。UIターン者の数は、年間200人を超えるという。
Iターン者からは、「隠岐の島は恥ずかしがり屋が多い。1人で入れるサウナがあれば一定のニーズはあると思う。PRは、チラシ、ポスター、口コミが有効だと思う」「利用は午前、午後に分けたらどうか」「サウナの後にはドリンクがあった方がいい」などの提案があり、研修生からは、「サウナの後に食事があれば単価が上がっていいのでは」「プライベートサウナに行ったことがあるが、仲間内で楽しめて一般のサウナと違う感じでいいですよ」「観光客は地元の人が行っているところに行きたいのでサウナは合っているのでは」「隠岐の島は夜空がきれいなので、星が見えるようにしたらどうか」などの意見が出た。
岩井さんは、「隠岐の島に自生するクロモジを使ったお茶やアイスをサウナとセットにしたい。利用は1時間単位ではなく午前・午後に分け、プライベート利用もいいですね。キャンパーなどにも使ってほしい。隠岐は口コミがすごいので活用したい」と話し、サウナ経営のイメージが明確になってきたと喜んだ。
島内の名所や施設を見学
2日目の研修は、島内の名所や施設の見学から始まった。島内の観光資源とサウナをどう結び付けるかを考察する。
五箇地区の水若酢神社は、隠岐の国一の宮とされている。本殿は国指定重要文化財で「隠岐造」という隠岐独特の建築様式で、参道や境内に樹齢300年を超える松が立ち並び壮観。神社見学の後は、Iターン者が経営する養鶏場で元気に走り回るニワトリの様子を見学した。「KUSUBURUHOUSE」の朝食にはこの養鶏場の生卵が提供されている。
隠岐の島町北部の中村地区の「ゲストハウス佃屋」は、島後のゲストハウスの元祖と言われ、Iターンの女性が10年ほど前に開業した。築120年を超える元庄屋の古民家を改造した風格と歴史を感じる宿泊施設だ。
ゲストハウス佃屋の近くにある「隠岐の島ものづくり学校」は、隠岐の島町が産業支援の目的で廃校の旧中村小学校をシェアオフィス向けに改修し、フリーWi-Fi、コピー機、調理室、シャワーなどが設置されている。中村海水浴場も近く、地域コミュ二ティーの拠点施設でもある。訪れた日は、旧体育館で「武良100均市」というフリーマーケットが開催され、野菜や古着、雑貨類が無人で販売されていた。
昼食を兼ねて見学した食事処の「さざえ村」は中村漁業協同組合直営の食堂で、「さざえ丼」と岩がきが名物。キャンプ場を併設する中村海水浴場にあり、海を眺めながら食事ができる。闘牛の肉入りカレーや藻塩入りのソフトクリームも人気だ。
地元住民、地域おこし協力隊、町会議員、Iターン者の皆さんからヒアリング
中村海水浴場から西郷地区に移動し、谷田晃さん夫婦が経営するカフェスペースを備えた雑貨屋「京見屋分店」で、地元住民や移住者、地域おこし協力隊、町会議員など計8人の島民に集まってもらい、「KUSUBURUHOUSE」のサウナ新設のプロジェクトについて意見交換を行った。
最初に岩井さんが、「宿のお客さんや島の人からサウナがあればいいという声をよく聞き、気持ちを固めた。やるなら失敗したくないし、長く続けていきたい。隠岐の島にサウナができたら関係人口も増やすことができるのではないかと思った。皆さんの率直な意見をお聞きしたい」とサウナ新設の経緯と思いを語った。
参加者全員の自己紹介の後に、ファシリテーターを務める研修生が、「サウナを通じて隠岐の島にメリットをどう提供していくかを皆さんと考えたい」と促し、会を進行した。
以下は参加者の主な発言。
「隠岐の島は水がおいしい。この水の良さをサウナにつなげたい」「一個人としてサウナができれば行きたい」「真摯な姿勢や本気度が試される。島民はそこを見ている」「この島の歴史は外から人が来て成り立ってきた。海に国境は見えない。移住者がやることは基本的にはウエルカムだと思う」「島の人はオープンマインド。困っていれば助けてくれる。サウナを応援します」など。
岩井さんからは、現時点での具体的なイメージ案が提示された。
「スペース的に一度に4人しか利用できないので午前と午後の貸し切りになる。時間は、朝8時から11時、午後は、15時から18時。宿泊しない人も入れる。一日の利用者の上限は8人。タオルとポンチョを用意し、水着で入る。サウナの後にお茶やアイスでクロモジの香りと味を楽しんでもらう。世間の“整う”などの言葉は気にせず、貸し切った時間は、お客さんが自由に楽しんでもらえたら。基本的に高級志向で行きたいが、地元の人にはリピーターになってもらいたいので島民割引も」
ヒアリングのあとのフリートークでは、「サウナの外観に茅ぶきはどうか」「エステやマッサージと組み合わせては?」「サウナ後にスープや夕ごはんは?」「星のきれいさを利用してナイトサウナは?」「島根は美肌県で有名。女性にはそこをアピールしたら?」などの意見も飛び出した。
起業者に聞く 五箇地区で古着・雑貨店を開業
研修の最終日には、地域おこし協力隊でお土産の開発を担当し、3年の任期満了後に五箇地区で古着や雑貨の販売で起業する加藤翔さんに話を聞いた。加藤さんは岩井さんのゲストハウスの近隣で開業の準備をしている。
「五箇には服屋がありません。以前に広島で服飾の仕入れの仕事をしていました。ただの服屋ではなく、古着やインテリア雑貨、釣り具、隠岐に関係するものなど、どの年代やどういう人にもささるものをチョイスして売りたい。また、シルクスクリーンのTシャツも製造、販売する。まずは本物の商品を。
なぜ島の中心地の西郷で店をやらないのかとよく聞かれますが、すでに店があるところではやりません。島内はドライブする人が多く、車で来てもらえたらと思います」
研修生の「サウナとどうからめますか?」との質問には、「この店に来て買い物を楽しんでくれる人に紹介したい」と答えた。また、研修生から「クロモジを使ったものが作れませんか」との提案があった。
研修を振り返る 地域全体を盛り上げたい
全行程を終了し、参加者全員で研修を総括した。
「最初に隠岐自然館で隠岐の島のことを理解することは大事だった。サウナ設置の場所は土を盛って高くなっているのでデッキができれば異世界の空間となる。星も資源。農業体験とサウナのセットもいいのでは。家族のお客さんに可能性を感じる。夫と息子さんは釣り、奥さんはサウナとマッサージと別れて行動。釣りに興味が無い奥さんに好評では」(研修生)
岩井さんは、「島は道が整備されていて信号もないのでドライブの後にサウナもいいと思う。たき火も庭でできるので(サウナと)組み合わせても面白い。夏は蛍も飛んでくる」「研修生の方や地元住民の方に支援していただき、とてもありがたいです。おかげで具体的なイメージやプランが出てきました。
『KUSUBURUHOUSE』単独での展開でなく、温泉など他の施設と連携し、五箇地区全体で観光づくりができたら関係人口も増えるし公益性もある。これからも地域を盛り上げていきたい」と今後の抱負を語り、研修を終えた。
研修生に聞く
福永 圭祐さん(東京都在住)
―研修に参加するきっかけを教えてください。
デジタルプロボノ(デジタルを専門とするプロボノワーカー)をやっており、プロボノの活動で地方に出ることがありません。現地滞在型のプロボノをやってみたかった。母が鳥取県の米子出身で親近感もありました。
―研修に参加してどういう感想を持ちましたか?
自分がどのくらい役に立つかと思っていましたが、学ぶことの方が大きかった。ファシリテーターとしてミーティングを進行する立場でしたが、地元の方の意見に隠岐の島の魅力を感じました。島後にもう一度来てみたいです。
―今後の抱負や展開を教えてください。
専門はエンジニアですが、いろいろな体験を自分の中に落とし込んでは幅を広げていきたいと思います。
S・Iさん(兵庫県在住)
―研修に参加するきっかけを教えてください。
リモートワークが生活のほとんどなので田舎生活に興味があり、テレビ番組を見て農作業もやってみたかった。同じ研修生の福永さんにこのプログラムを紹介され参加しました。2拠点生活をしてみたいです。
―研修に参加してどういう感想を持ちましたか?
人との交流はいいものだと思いました。プロボノという形でディープにコミュニケーションが取れました。人間はこういう生活をすべきだと思い、心が温まりました。自然の中でいろいろな仕事をすることは得られるものが大きいですね。
―今後の抱負や展開を教えてください。
他の地域も見てそれぞれの地域の特性を知り各地の魅力を再発見したい。先入観抜きで見てみたい。本職(IT)のスキルを生かすことができればいいなと思います。
(了)